2011年12月26日 (月)

文楽と歌舞伎の忠臣蔵

 伝統芸能情報館の今の展示は仮名手本忠臣蔵がテーマで、12月10日の文楽公演の前に展示をみました。
 12月15日、ある会合で会場に早く着きすぎたので、ICレコーダーに転送してある落語の中から、八代目林家正蔵の演ずる中村仲蔵を聴きました。仮名手本忠臣蔵の五段目、冴えない役であった斧定九郎を仲蔵が工夫して、現在の型を創出したという噺、何回か聞いていますが、また約26分を楽しみました。他にも落語では歌舞伎の忠臣蔵がよく出てきます。
 翌16日は金曜日、NHK Eテレのにっぽんの芸能をよくみます。番組表だと、この日は前半の花鳥風月堂、後半の芸能百花繚乱とも仮名手本忠臣蔵がテーマで、後半は文楽で見る全十一段、各段のダイジェストのようでした。あいにく借りぐらしのアリエッティと重なっていたので、Eテレの方を録画し、アリエッティが終了後、文楽での五段目あたりだけ再生してみました。落語で仲蔵が改変する前の定九郎の説明がありますが、文楽では原作通りの姿で出てくるので、ちょっと笑ってしまいました。六段目も文楽と歌舞伎では違いがあることが解説されています。
 歌舞伎はほとんど見たことがないので、歌舞伎での仮名手本は想像するだけですが、花鳥風月堂が歌舞伎での仮名手本でした。23日に五段目がでてきて、仲蔵の演じた型が今も演じられていることがよくわかりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 5日 (火)

2010年9月文楽公演

 18日土曜日、一部二部と欲張りました。

 第一部良弁杉由来、綱大夫さんがこの公演の始まりは休演だったのが、この日は出演していました。綱大夫さんは、一時声が出ない状態が続いていましたが、だいぶよくなっているように聴きました。
 鰯売恋曳網は、文楽としては最初の上演ですが、楽しめました。

 第二部勢州阿漕浦は、住大夫師匠は素浄瑠璃としては過去2回語ったことがあるのですが、人形とともに語るのは初めてということです。最近ちょっと体力が心配な面がありましたが、この日は、引退はまだ先だと感じました。
 桂川連理柵、発端から上演するのは珍しいようですが、やはりその方がわかりやすいと思います。嶋大夫さんは、ちょっと元気よすぎるように思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 4日 (月)

素浄瑠璃

 9月23日秋分の日、日経ホール、住大夫師匠の素浄瑠璃を初めて体験してきました。国立小劇場では、斜め前からということもあるのでしょうか、聞き取りにくいこともあったのですが、舞台正面からということからでしょうか、たいへん聴きやすく、人形なしだと眠ってしまうかなと心配だったのですが、大丈夫でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月12日 (金)

「大経師昔暦」あらすじ

すでに東京公演中ですから、今更の感がありますが、上演されるのは「奥丹波隠れ家」まで、近松の原作では最後にどうなっているか、紹介しておきます。


大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)浄瑠璃。世話物。三巻。近松門左衛門作。正徳五年(一七一五)春大坂竹本座初演。京都烏丸通り四条下ルの大経師浜岡権之助(剃髪後意俊と名乗る)の妻さんが、手代茂兵衛と密通した事件を脚色したもの。両人は二人の媒介をした下女の玉とともに丹波国氷上郡山田村にひそんでいたところを捕えられ、天和三年(一六八三)九月二二日に三人ともに、洛中引き回しの上粟田口で処刑された。本曲はその三十三回忌にあたる年に上演され、年忌浄瑠璃としての特色を持つ。
【あらすじ】 上巻―京都四条烏丸の大経師以春の妻おさんは、実家から金の調達を依頼され、その金策を店の手代茂兵衛に頼む。茂兵衛は主人の実印を白紙に押そうとするところを同僚の助右衛門に発見される。茂兵衛に思いを寄せる下女玉が罪を引き受けようとするが許されず、隣家の二階に預けられる。一方おさんは、夫以春が下女玉の寝所に忍んで来ることを知り、夫をこらしめようと、玉と寝床を替わる。茂兵衛は自分をかばってくれた玉の思いに答えようと、玉の寝所に忍び込む。おさんと茂兵衛ははからずも不義を起こしてしまう。二人は家を逃げ出す(大経師以春屋敷)。中巻―玉は岡崎村に住む伯父の講釈師赤松梅竜の家に預けられる。おさんと茂兵衛はそこへ逃げてくる。おさんの両親岐阜屋道順夫婦が偶然尋ねてきて、悲運を悲しむが、二人に金を与えて去る(赤松梅竜宅)。下巻―おさん・茂兵衛は奥丹波柏原に逃れ住んでいたが、丹後宮津に逃れようとして捕らえられる。梅竜がおさん茂兵衛に不義はなく、すべての罪は玉にあると、玉の首桶を提げてやってくる。しかし、証人である玉がいなくては、無罪を証明することはできなくなった。(奥丹波隠れ家)。二人は京の町を引き回される。(おさん茂兵衛暦歌)処刑されようとするとき、黒谷の東岸和尚が駆けつけ、衣の徳によって二人の命を救う(刑場)。
【特色】同題材の西鶴作の『好色五人女』巻三があり、おさんの積極的な恋情と、それにつき動かされていく茂兵衛を描いたのに対し、近松作では二人の不義を当人達の意志によらない、偶然の過ちとして描いている。最後に両名の命を救うのはあまりに唐突だが、ここに年忌浄瑠璃の特色がみられる。本作は元文五年(一七四〇)近松門左衛門の十七回忌追善の切浄瑠璃として、『恋八卦柱暦』と改題して上演され、その後もさらに増補されて歌舞伎や浄瑠璃で上演された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月11日 (木)

伝統芸能情報館 「人形浄瑠璃文楽の歴史」

少し前の情報ですが、伝統芸能情報館で企画展示「人形浄瑠璃文楽の歴史」を開催中です。
2月公演あるいは5月公演の機会に足を運びたいものです。

期 間:平成22年2月5日(金)~平成22年5月24日(月)
時 間:10時~18時(毎月第3水曜日は20時まで)
休室日:なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国立劇場の梅

1月26日の情報で、梅がほころびたとのことです。

国立劇場の梅がほころび始めました|日本芸術文化振興会
http://www.ntj.jac.go.jp/topics/news100126_1.html

見頃は2月上旬ということだそうですが、2006年では、2月25日の時点でもそれなりに見られました。
国立劇場の梅: 以良香の文楽・浄瑠璃メモ
http://iraka.tea-nifty.com/butai/2006/02/post_2569.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「新版歌祭文」のタイトルについて補足

 「新版歌祭文」のタイトルについて、何か書き落としていたと気になっていましたが、『浄瑠璃名作集 上』(日本名著全集)『浄瑠璃集 下』(日本古典文学大系)によって補足します。
 お染久松の事件は、歌祭文に歌われ、歌舞伎で演じられてきました。紀海音の「お染久松 袂(たもと)の白(しら)しぼり」は、この人気を利用して浄瑠璃にしたもので、「地蔵めぐり道行」の段では、お染・久松の両人は、夢の中で自分たちと同じ名の男女の情死を歌った歌祭文を聞く場面があります。二人の行く末を暗示する場面です。この流れを踏まえて、「新版歌祭文」の外題がつけられたといいます。

 「新版歌祭文」では、歌祭文は登場しませんが、「野崎村」の冒頭で、お夏清十郎の道行の一節が語られます。久作の家に繁太夫節(上方浄瑠璃の一つ)を語る門付けが、お夏清十郎の道行きを語りはじめ、おみつは「母さんの煩ひで三味線も耳へは入らぬ。」と断りますが、なお、「清十郎涙ぐみお夏が手を取り顔打眺め、同じ恋とはいひながら、お主(しゅう)の娘を連れて退(の)く、これより上の罪もなし」と語ります。おみつは「聞きとむない。通りや通りや」と言うところに、久作が現れ、おみつの気晴らしにでもと、浄瑠璃本を買い求めます。「座摩社」の後の段、われわれはお染久松とお夏清十郎を重ねますが、久作はお夏とおみつとをくらべて「同じ娘でも世は様々」と歎じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 9日 (火)

「新版歌祭文」あらすじ

新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)

 二巻。近松半二作。角書「お染久松」。安永9年(1780年)9月大阪竹本座初演。油屋お染と丁稚久松の心中事件を題材とし戯曲化した中で、最も著名な作品。歌舞伎『心中鬼門角』(宝永7年(1710))、浄瑠璃『お染久松袂の白しぼり』(宝永7年、紀海音作)『染模様妹背門松』(明和4年(1767)菅専助作)などのお染久松物の影響下に成立するが、野崎村は半次の創案に成る。
 歌祭文は江戸時代の俗曲の一つで、心中事件などを、節おもしろく唄い、その文句を売り歩いたもので、タイトルはその新しい版の意。
【あらすじ】上の巻 「座摩社(ざまやしろ)の段」「野崎村の段」下の巻 「長町の段」「油屋の段」
からなる。
 大坂油屋の娘お染と丁稚久松は恋仲で、お染の山家屋佐四郎との縁談に心を痛めている。久松は座摩社で油屋の下人小助・浪人鈴木弥忠太・だはの勘六らに謀られ、受取金を騙し取られた科で、野崎村の養父久作の許に戻される。
 久松はもと和泉国石津の家中相良丈太夫の子息で、父はお家の宝刀吉光を紛失した科で切腹、乳母お庄の兄久作に養育された身である。
 久作は財産を処分して騙し取られた金を弁償する。久作は、かねてから久松と女房の連れ子おみつを夫婦にすることを考えていたが、久松を引き取って祝言をあげることにする。祝言の支度に忙しいおみつの前に、お染が久松を追って現れる。久松はお染に別れ話を持ち出すが、お染は死を覚悟していて、久松も共に死ぬことを決意する。二人の覚悟を知り、おみつは久松への恋を諦め、尼になって身を引く。
 周囲の人々の心尽くしに死を断念する二人の前に、お染の母お勝が現れ、弁償金を戻し、お染と久松に時節を待てと諭すが、世間を憚って、お染は母と舟で、久松は駕籠で大坂へ帰っていく。[上の巻]
 油屋へ戻った久松に、小助・弥忠太・勘六らは山家屋からの結納金を盗み、その嫌疑を塗り付けようとするが、その場をお庄に救われる。小助一味の勘六は、お庄が自分の母親と知って改心し、お庄とともに久松の父が弥忠太に盗まれた吉光を取り戻して久松を本国に帰参させようとする。お染の母はお染に、久松のためにも山家屋へ嫁入りするよう意見する。質屋から取り戻した吉光の刀は偽物であったが、勘六が弥忠太から吉光を取り戻す。そうとは知らず、お染と久松は油屋の蔵の内と外で心中する。[下巻]
【上演】野崎村の段が有名で、歌舞伎でもしばしば上演される。文楽では通しでも演じられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月公演

 2月公演がすでに始まっています。土日は大変寒さが厳しかったのですが、推奨日の20日には寒さも和らいでいるでしょうか。

 さて、だいぶ先のことではありますが、2月公演の幕あきとともに5月東京文楽公演の演目が決まりました。次のところに案内がアップされています。(チラシはまだで演目と日時のみ)

公演情報 詳細|日本芸術文化振興会|
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3318.html

 5月公演は、第一部の祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)は1995年以来、碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)1994年以来と珍しい演目で、こちらにも引かれますが、第二部 新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)をお薦めします。
 2007年12月には若手中堅による座摩社(ざまやしろ)・野崎村のみの公演があり、この時に足を運ばれた方もいらっしゃいますが、今回住大夫師匠が野崎村を語り、かつ1999年9月公演以来の通し公演で、この機会を逃したくないものです。なお、二部構成のため、料金が高くなっていますのでご注意ください。

5月文楽公演
公演期間 2010年5月8日(土) ~ 2010年5月24日(月)

<第一部>11時開演(15時25分終演予定)
祇園祭礼信仰記
金閣寺の段
爪先鼠の段
碁太平記白石噺
浅草雷門の段
新吉原揚屋の段
連獅子(れんじし)

<第二部>16時開演(20時10分終演予定)
新版歌祭文
野崎村の段
油屋の段
蔵場の段
団子売(だんごうり)


等級別料金 1等席 6500円(学生4600円)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年12月 7日 (月)

2010年2月公演

 冬の訪れがいつもより遅く、5日の土曜日は開演の少し前には雨が強くなりはじめ、ちょうど公演中はかなり強い雨だったようですが、終演ころには雨もあがり、寒さをあまり感じませんでした。中堅・若手の公演でしたが、楽屋を文字栄さんのご案内でお邪魔しましたが、何と住大夫師匠が稽古のためということで楽屋におられ、思いがけなくもお元気そうなお顔を拝見することができました。

 さて、来年のことではありますが、2月東京文楽公演の演目が決まり、次のところに案内がアップされています。(とチラシはまだで演目のみ)

公演情報 詳細|日本芸術文化振興会|2月文楽公演
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3159.html

 今回は第二部 おさん・茂兵衛 大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)と、第三部 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)とが近松ものです。他の演者はまだわかりませんが、住大夫師匠は、第二部を語ることになっています。この演目は東京では、1994年以来ですが、師匠はその時と同じく岡崎村梅龍内の段を担当されると思われます。第二部を推奨演目とします。(なお近々大経師昔暦のあらすじをブログにアップします。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月27日 (日)

「伊達娘恋緋鹿子」火の見櫓の段 梯子を登る写真

 12月公演「火の見櫓の段」でお七が梯子を登る場面を初めて見ることになりますが、様子を知りたいと思っていたところ、国立劇場の12月公演のページにチラシがアップされ、裏面にお七が梯子を登る写真が掲載されています。

公演情報 詳細|日本芸術文化振興会|12月文楽公演
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3014.html


 それにしても、モノクロでかつ小さいので、手もとの資料を探したところ、水落潔指導・青木信二写真『文楽入門』(淡交ムック、1995年6月初版、2000年6月再版)に、雪の中、急な滑る梯子を踏みしめて登る姿がありました。このムックの写真には、亡くなった方々、現在も活躍されている方々の若いころ、など興味深いものがあります。

 インターネット上で探してみましたが、なかなかないもので、ようやく2008年3月地方公演で「壺坂観音霊験記 沢市内より山の段」とともに上演された際の公演案内にチラシなどがアップされているのを見つけました。

 説明文には、

人形遣いの姿もない舞台の上で、降りしきる雪の中、お七ひとりが罪をいとわず、恋心を胸に火の見櫓を上って行きます。

とあります。

2008年3月22日(土) 江戸川区総合文化センターでの公演案内に、登りはじめの舞台写真を、
http://edogawa-bunkacenter.jp/info/v28.html

同年3月23日(日)鎌倉芸術館の公演案内では、チラシの拡大写真を、
http://kamakura-arts.jp/info/v31.html

それぞれ見ることができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月15日 (火)

「伊達娘恋緋鹿子」あらすじ

「火の見櫓の段」のみが上演されることが多いのですが、今回は「八百屋内の段」も久しぶりに上演されます。
   
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)八巻。浄瑠璃。菅専助・二世松田和吉(松田ばくの改名?)・若竹笛躬の合作。角書は「起請方便品書置寿景品」。安永二年(一七七三)四月六日、大阪北堀江豊竹座初演。

【素材】
 西鶴の『好色五人女』などで著名な八百屋お七の事件を浄瑠璃化した先行作、『八百屋お七』(紀海音作)、その改作『潤色江戸紫』(延享元年(一七四四)四月大阪豊竹座初演。為永太郎兵衛ほか作)を、さらに改作したもの。

【あらすじ】
 近江国高島家の若殿左門之助は禁裏へ献上する天国(あまくに)の剣を紛失したため、詮議のために百日間の猶予が与えられた。そのお守役の安森源次兵衛は切腹したが、江戸にいる一子吉三郎といいなずけのお雛とが祝言することで、家を継げることになった。江戸吉祥院の寺小姓になっていた吉三郎は、火事で焼け出されて寺に預けられていた八百屋お七と恋仲であったが、お七は父が再建資金を借りた万屋武兵衛を婿に迎えなければならなかった。
 八百屋の新宅に武兵衛が婿入りする夜は、剣詮議の期限でもあった。吉三郎は左門之助切腹のお供をする覚悟をして、書置を残して去ったが、お七は、その剣を武兵衛が盗み持っていることを知った。吉三郎に届けようとするが、火事以後、夜は町木戸が締められて通行ができない。
 お七は処刑を覚悟で火の見櫓の半鐘を打ち、木戸を開かせた。左門之助は帰参が叶ったが、お七は鈴の森で火刑に処される。

【特色】
 従来の八百屋お七ものと相違し、お七の罪は放火ではなく虚偽の半鐘を打ったこととし、罪を軽くしていることで、文学的緊張を欠くものとなったとの批判があるが、お七がはしごをのぼる演出が生まれ、人形の見せ場として今日でも上演されることが多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「近江源氏先陣館」あらすじ

半ニらしいといえばそのとおりですが、入り組んだ筋書きなのに驚きます。12月公演で上演される段を中心にあらすじを追って見ました。

近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)九段。浄瑠璃。近松半二・八民平七・三好松洛・竹本三郎兵衛ほか合作。となっているが、中心は半二。明和六年(一七六九)十二月九日より大阪竹本座初演。翌七年五月大阪中の芝居で歌舞伎として上演される。

【構想】浄瑠璃・歌舞伎の題材の源である『大阪軍記』『難波戦記』ものの一つで、大阪の陣に材料をとり、徳川と豊臣の対立を源頼朝没後の実朝と頼家の世継争いに仮託して脚色した。徳川は鎌倉方、豊臣は京方となっている。

【あらすじ】
初段―頼朝の三年忌を迎えようとするころ、頼家は頼朝の長男でありながら、妾腹ゆえに将軍職をつぐことができず京都に引き込んでいる。佐々木盛綱は、将軍実朝から近江の国を与えられ、頼家方に備えるよう命ぜられる。

二段目―実朝の母政子と頼家の母宇治の方とが将軍職後継をめぐって言い争う。
三段目―宇治の方は、男を引き入れ色欲に耽ると見せかけ軍師を集める術策で、佐々木四郎高綱(盛綱の弟)を軍師として迎え入れることに成功する。高綱は、大江人道一味の悪事を見破り、人道は追放される。
四段目ー実朝の執権時政は、娘時姫と頼家の政略結婚をもくろむが、姫は京方の三浦之助を慕って京へ向かう。
五段目―塩売に身をやつした三浦之助は、軍師となるべき人物を求め、駕籍かき四斗兵衛(しとべえ)の挙動を探る。
六段目―片岡造酒頭(みきのかみ)は時姫と三浦之助をめあわせる。姫の身代わりとして自分の娘の首を打ち、京方にそむいた罪を感じて切腹する。四斗兵衛実は和田兵衛秀盛は三浦之助に見出され京方の軍師となる。
七段目―京・鎌倉の合戦となり、鎌倉方は時政が石山に、盛綱が比良に陣を敷き、頼家方は坂本城に立て篭もる。合戦の前夜盛綱は敵陣に高綱を訪ねて和睦を求めるが一蹴される。[坂本城外の段]高綱の子小四郎は計略によりわざと盛綱の子小三郎の生け捕りとなる。
八段目―[和田兵衛上使の段]小三郎の功名に盛綱の陣所は沸きかえっているが、老母微妙(みみょう)にとっては、小三郎も小四郎も孫、浮き立つ気持ちではいられない。時政は、大将高綱の息子を捕えたのは強み、大切にせよと、命じる。頼家方の和田兵衛秀盛が、小四郎返還を求める使者としてやってくる。時政から預かった囚人(めしうど)を渡せないと盛綱がはねつけると、和田兵衛は、時政に直談判すると、石山に向かう。
[盛綱陣屋の段]盛綱は、母微妙に、小四郎を切腹させてほしいと頼む。時政の真意は、小四郎を囮(おとり)として高綱を味方につけようとの謀であるとみた盛綱は、高綱が京方に不忠となったり、子ゆえに攻撃が鈍るようなことがないよう、小四郎を切腹させようというのである。小四郎の母篝火(かがりび)はわが子に忍び出よとの矢文を射るが、盛綱の妻早瀬(はやせ)は時節を待てと返し矢で教える。小四郎が密かに逃げようとするところを微妙がとめて切腹を言い聞かす。小四郎は逃げ回る。
 盛綱の陣所へ、京方の将高綱が討たれたというしらせが届き、盛綱は主君時政の面前で弟高綱の首実検をすることになる。盛綱は偽首であることを見抜くが、捕えられていた小四郎は、首をみて「父上」と呼んで切腹する。盛綱はこれをみて、小四郎が父の計略をよくのみこみ、死をもって敵をあざむこうとした心根を察し、首は高綱のものだと証言する。時政は大敵を討ち取ったと安堵して帰陣する。時政を偽った申し訳にと盛綱が切腹しようとすると、和田兵衛が現われ、今切腹すれば、偽首が露見すると止め、鉄砲で時政が恩賞として残した鎧櫃を打ち抜く。中からは時政の忍びのものが転げ出る。二人は戦場での再会を約して別れる。
九段目―頼家の拠点である坂本城が鎌倉方の軍勢に包囲されるが、高綱は計略により敵の大将時政を坂本城内におびき寄せる。高綱・盛綱・三浦之助のはからいで、京・鎌倉の和睦が成立、合戦は終息する。大江人道は討たれる。

【特色】八段目の「盛綱陣屋」の場、俗称「近ハ(きんぱち)」が中心で、浄瑠璃・歌舞伎ともに演出に工夫が重ねられている。なかでも、首実検での盛綱の心理をどのように表わすかが、演技のみどころとなっている。

【人物対照】主な人物についての対照は、北条時政は徳川家康、時姫は千姫、宇治の方は淀君、源頼家は豊臣秀頼、源実朝は徳川秀忠、片岡造酒頭は片岡且元、三浦之助は木村長門守、大江入道は大野修理亮、佐々木守綱は真田信幸、佐々木高綱は真田幸村、和田兵衛は後藤又兵衛となる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月文楽東京公演

 昨年の夏に比較すると、照り輝く太陽が少なく、あまり夏らしくなかった今年でした。東京9月公演が始まりましたが、「沼津の段」ほか、好評のようです。

 さて、12月文楽公演の演目が決まりました。

 いつものことながら、12月公演は中堅若手のみの出演ですが、前回パスした演目と比較的珍しい演目なので、足を運ぶ価値があろうと思います。

 第一の演目、「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)」は、大坂冬の陣を鎌倉時代に移し変えたもので、「盛綱陣屋」のくだりが有名です。数年に一度上演されていますが、2005年の公演は「伽羅先代萩」を選んだため、私には初めてとなります。

 第二の演目は、八百屋お七を題材にした「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」で、お七が櫓を登る「火見櫓の段」は、鑑賞教室としてたびたび上演されています。「八百屋内の段」からの上演は、1986年の大阪公演以来のようで珍しいと思います。

【12月文楽公演】
12月文楽公演
公演期間 2009年12月4日(金) ~ 2009年12月16日(水)
開演時間 5時開演
※6日・8日・11日・13日は2時開演(5時35分終演予定)

演目
近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)
   坂本城外の段
   和田兵衛上使の段
   盛綱陣屋の段   
   
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
   八百屋内の段
   火の見櫓の段

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月18日 (月)

文楽2009年9月公演、「艶容女舞衣」 酒屋の段 あらすじなど

文楽東京9月公演第二部は、
 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)沼津の段
 艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ) 酒屋の段
ということで、住大夫師匠は当然、お好きな演目の一つ、沼津の段となります。

 沼津の段は、前回が2005年2月。あらすじは次の所にアップしてあります。また関連する話題がいくつかあります。左のカテゴリーの「伊賀越道中双六」をクリックして下さい。
以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 2005年2月「伊賀越道中双六 沼津の段」「嫗山姥 廓噺の段」
http://iraka.tea-nifty.com/butai/2004/12/20052_4211.html

 酒屋の段のあらすじなどを次に掲載します。

艶容女舞衣 通称・酒屋、三勝半七
世話物 竹本三郎兵衛・豊竹応律
安永元年(1772)、大阪豊竹此吉座初演

茜屋半七と女舞芸人笠屋三勝の心中事件は、当時多くの芝居や浄瑠璃に取り上げられたが、現在はこの作品のみが残り、上演されるのもこの段。二人よりも、周囲の人々、中でも半七の妻お園に重点が置かれている。
[酒屋の段]
 大阪上塩町の酒商人「茜屋」の主人半兵衛の息子半七は、女舞芸人の三勝と深い仲になり、お通という子をもうけている間柄だが、半兵衛はこの仲を許さず、宗岸の娘お園と結婚させた。お園は嫁として半兵衛夫婦によく仕えるが、半七は三勝とのことがあってお園に手も触れていない。半兵衛は半七を勘当し、お園は実家に引き取られている。
 茜屋へ酒を求めに現れた三勝は、丁稚の長太にお通を預け姿を消す。お園は宗岸に伴われ、再び嫁として迎えてくれと頼みに来るが、半兵衛は、お園のためを思って承知しない。半七は、三勝に横恋慕する今市善右衛門と争って殺してしまい、人殺しの罪で追われる身であった。身代わりに半兵衛が引き立てられたあと、お園は一人残って半七を思ってかきくどく。そこへ、お通が手紙を届ける。手紙は半七の書き置きで、来世はお園と添い遂げるとある。人々は二人の安否を気遣うが、半七は三勝と連れ立って千日寺へ向かっていた。

 お園が半七を思っての「今ごろは半七つぁん、どこにどうしてござろうぞ」は女性がその思いを表現する「クドキ」の代表的なものとして有名。

【収録文献】
日本古典文学大系99 文楽浄瑠璃集
頼桃三郎 校訂「艶容女舞衣」岩波文庫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月12日 (日)

2006年3~年末の投稿掲載

 2006年3月から年末までのひらめサイト・錦糸サイトへの投稿記事を掲載しました。これ以降、両サイトへの投稿はなんとなく途絶えてしまいました。
 ひらめさんのサイトは2007年末で閉鎖されてしまったことは残念なことです。

 一番古い記事は次のところです。すでにアップ済のものと入り混じっていることをご容赦ください。
以良香の文楽・浄瑠璃メモ: ちょっと残念 5月公演

 話題は、六世鶴澤燕三襲名、新燕三さんと住大夫師匠、「都美人 紋寿好み」というお酒、大阪での文楽体験、文楽の原作を読むために、などです。
 以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 玉男さんの俊寛、もう見ることがかなわないとはの記事を読み返して、最近DVDが発行された「NHKスペシャル 人間国宝ふたり ~吉田玉男・竹本住大夫~(2001年1月13日 NHK総合テレビ)」の放映当時の玉男さんをあらためて思い起こしたことでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 8日 (水)

2006年1月2月の記事をアップ

2006年の1月と2月の夏の時期の記事をアップしました。以前アップ済のものが入り混じっている点をご容赦ください。
一番古い次の記事から遡って下さい。

以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 勘平 浄瑠璃では切腹だったようです

話題は、『仮名手本忠臣蔵』の勘平(判官切腹と勘平腹切と使い分けられているが、文楽では元来どちらも切腹だったようだ、勘平の段は六段目、通常の時代物の三段目に当たる重要な段、勘平の死の存在は義士たちにとってどんな意味を有していたか)、人形の出遣いと黒衣、劇場での拍手などです。
かなり長い記事が続いています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

2005年9月から12月記事のアップ

2005年9月から年末の時期の記事をアップしました。以前にアップ済のものが入り混じっている点をご容赦ください。

中で一番古い記事は三宅周太郎『文楽の研究』岩波文庫版購入となります。

 話題は、三宅周太郎『 文楽の研究』創元文庫版と岩波文庫版、口絵の比較、住大夫師匠と寺子屋の段、溝口健二『西鶴一代女』 と若き日の住師匠、2006年2月公演などです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 5日 (日)

2005年5月から8月の記事をアップ

2005年の夏の時期の記事をアップしました。以前アップ済のものが入り混じっている点をご容赦ください。

一番古い記事は以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 「演劇としての『近松』――『曽根崎心中』を弾いてみると――」講演アップのお礼になります。

 話題は、 錦糸さんの東京女子大学講演会「演劇としての『近松』――『曽根崎心中』を弾いてみると――」、三宅周太郎『 文楽の研究』の復刊、演目と配役の決まり方、夏の暑さと人形遣い、1950年代の「三和会」と「因会」への分裂、安藤鶴夫他『文楽』(日本の伝統③)などです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年3月から2005年5月の記事をアップ

2005年の春から夏にかけての記事をアップしました。以前アップ済のものが入り混じっている点をご容赦ください。

 3月は以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 歌舞伎と文楽の文献情報だけが新規のもので、他はすでにアップ済のものです。

 4月は以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 「ひもじい」と「もったいない」が一番古いものです。順に上にたどってください。
 話題は、「伽羅先代萩」についての錦糸さんの発言について、千歳大夫さんについてなどです。

 5月は以良香の文楽・浄瑠璃メモ: グランドアークほか半券サービスが一番古いものです。
 話題は、「伽羅先代萩」に出てくる雀と鼠について、9月公演の予想と、決まった演目についてなどです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«青江下坂と葵下坂