2008年2月13日 (水)

「心中宵庚申」「鎌倉三代記」について あらすじ

【心中宵庚申の粗筋など】
近松門左衛門
享保七(1722)年四月、大阪竹本座初演
 享保七年(一七二二)四月六日、八百屋半兵衛と女房のお千代という夫婦者が心中した事件が話題となり、同月二十二日から大阪竹本座で初演された際物ですが、近松は封建社会における家族制度の問題ととらえ、現代にも通じる普遍的な内容になっています。

<上田村の段>
 大百姓島田平右衛門の唯一の気がかりは次女の千代の行末です。立派な跡取りの婿をとった長女のおかるに比べて、お千代は三度目の嫁入でも夫半兵衛の留守中に姑去りにあったのです。
 平右衛門の子を思う親心に、武士の家に生まれ義理に篤い半兵衛は死んでもお千代とは別れないと誓います。水盃や門火などが夫婦の行末を暗示するかのようです。

<八百屋の段>
 養母がお千代の何が気に入らないのか、礼節を重んじる半兵衛は、養母からお千代と別れるように迫られると、お千代を皆の前で離縁してしまいます。
 事情を知らない無邪気なお千代の姿が哀れに映ります。半兵衛が苦悩したあげく選んだのは、お千代との愛を全うすることだったのです。

<道行思いの短夜>
 庚申の夜を背景に、胎児もろとも愛妻を手にかけ、同じ刀で自刃する、半兵衛。

【参考 鎌倉三代記】
作者未詳
享保三(1718)年正月、大坂・豊竹座初演
 作者は未詳だが、近松半二説がある。元和元年(一六一五)、前年の冬の陣につづいて大坂夏の陣が起こり、豊臣家は滅亡した。その大坂落城を題材にとっているが、時代を鎌倉に設定し、徳川家康は北条時政、豊臣秀頼は源頼家、淀君は宇治の方、真田幸村は佐々木高綱、木村重成は三浦之助、後藤基次は和田兵衛、千姫は時姫とかえている。

 時姫がお盆に豆腐をのせ、腰元に傘を差させて戻ったり、在所の女房が時姫に米の洗い方を教える場面が端場につく。
<三浦之助母別れの段>
 障子内に老母が病いの床にふせっている。時姫が看病していて、戦場から引き返した三浦之助に最後の対面をさせようとするが、気丈な母は障子を開けさせない。
 手負いの息子を逆に叱りつける。三浦之助は母に励まされてふたたび出陣を覚悟する。前半の病いの母、その母を見捨ていく三浦之助の涙、自分の気持を「思いやってもくれもせじ」と嘆く時姫の三者の悲しみが重視されている。
<高綱物語の段>
 滑稽で身の軽い藤三郎に時姫はくどかれるが、剣をぬいて追いはらう。三浦之助が出て、夫について時政を討つか、または離別するかと責められて、ついに父殺しを約束する。約束がととのったあと、三浦之助が戸に声をかけると、藤三郎実は高綱が凛々しくあらわれる。だましだまされのどんでん返しが多いのが特徴である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)