2009年2月24日 (火)

「ひらかな盛衰記」あらすじなど

頻繁に上演されていますから、過去のプログラムを引っ張り出せばよいようなものですが、通しの上演ばかりではないので、まとめておきます。

ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)五段。浄瑠璃。時代物。文耕堂・三好松洛・浅田可啓・竹田小出雲(二世竹田出雲)・千前軒(初世竹田出雲)合作。角書「逆櫓松(さかろのまつ)・矢箙梅(えびらのうめ)」。元文四年(一七三九)四月十一日大阪竹本座初演。
【構想】『平家物語』『源平盛衰記』等を題材とする浄瑠璃の代表的作品の一つ。木曾義仲とその遺児・遺臣の物語を中心に、梶原源太をめぐる逸話を加えて構成されている。四段目の無間(むけん)の鐘の伝説は古くから歌舞伎・文楽に組み込まれているが、直接には享保十六年(一七三一)江戸中村座初演『けいせい福引名護屋』における瀬川菊之丞の当り芸をとり入れている。
 2009年5月公演では、梶原源太をめぐる段の上演です。
【あらすじ】初段―義経は頼朝の命を受け、木曾義仲討伐のため伊勢路を進み、途中伊賀国阿山郡射手明神に詣でる。梶原景時(かげとき)は旭将軍義仲になぞらえた日の丸の軍扇を射損じ、源氏の白旗を射てしまう。自害しようとする景時を佐々木四郎高綱が取りなすが、景時は義経に意趣を含むことになる。
 義仲は平家から三種の神器をとり戻すために、自ら謀反人の汚名を着て粟津の一戦に鎌倉勢を引受けて討死する。
二段目―義仲の御台(みだい)山吹御前(やまぶきごぜん)と遺児駒若を守り、腰元お筆は今は楊枝屋となっている父鎌田隼人(かまたはいと)を頼ったが、梶原の追手番場忠太等が襲ってくる。看板用の猿を駒若と欺き脱出する。
 梶原源太景季(かげすえ)は、宇治川の先陣争いで、父景時が恩を受けた高綱にわざと勝を譲り、景時から切腹を命ぜられる。そのわけを知った母延寿(えんじゅ)は源太を勘当して命を助け、愛人の腰元千鳥(お筆の妹)共々館を立ち退かせる。
三段目―山吹御前、駒若、お筆、鎌田隼人は木曾へ逃れる途中、大津で番場忠太のため駒若も隼人も殺され、山吹は悲歎のあまり絶命する。しかし、駒若は旅宿で隣り合わせた難波福島の船頭権四郎(ごんしろう)の孫槌松(つちまつ)ととり違えられていた。
 お筆は若君をとり戻しに福島へ赴くが、権四郎は孫の敵と、駒若を殺そうとする。聟松右衛門(まつえもん)が義仲の四天王の一人樋口次郎(ひぐちのじろう)兼光(かねみつ)と名乗り、権四郎から逆艪の秘伝を学んで義経に近づき、亡君の仇を報ずるために入り聟したことを打明け、義理の子槌松が若君の身替りに立ったことは、武士の身の誉れと諭す。討手に向った畠山重忠は、樋口と権四郎の心を察し、樋口に縄をかけて駒若を見逃す。
四段目―神崎の廓に身を沈め、傾城梅が枝(うめがえ)と名乗る千鳥は、源太の出陣に必要な産衣(うぶぎぬ)の鎧を請戻す金の工面に心を砕き、無間の鐘をついても三百両を得たいと思い詰める。来合わせた延寿がそれと言わずに金を与える。梶原父子を親の敵と狙う姉お筆も、延寿の情ある計らいに心解け、源太は出陣する。
五段目―平家との戦いに、源太は高名を顕わし、父の勘当を許される。樋口は義仲の一族に対する義経の仁心に感じつつ自刎する。
【特色・影響】題名の「ひらかな盛衰記」は『源平盛衰記』を平俗に砕いたものとの意味であるが、半ばは作者の創作である。好評のため、歌舞伎にも移されている。三段目「松右衛門内」から「逆艪」の段がしばしば上演されるが、文楽では通し上演も行われる。

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床本集に収録されています。
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