11時間の苦楽、江戸時代は12時間
【ひらめサイト】
8月の6日、大阪での文楽は、2部と3部、広島に二泊し、東京へは文楽が跳ねた後夜行バス、という私の年齢にとってはきつい日程の途中でした。
荷物をバスターミナルのロッカーに預けそこねて、ずっと大きな荷物をかかえて移動する羽目となりました。そのため、麻生深雪さん、jazzさんからお勧めいただいたにもかかわらず、文楽舞台のゆかりを訪ねることもなく、また久しぶりに大阪の味を楽しむこともなく、大阪を後にしました。
初めての文楽劇場、いかにも大阪らしい夏の文楽公演について書き込もうと思いながらも、諸事取り紛れているうちに、東京公演となっていました。
季節もようやく秋らしくなり、諸サイトにあふれる書き込みなどを読んでみたところでは、明日の朝から夜までの文楽は、楽しみとなるようです(お彼岸の中日ですが墓参りは翌日に譲って)。11時から9時ということはいままで何度かありましたが、今回は最長でしょうか。その上休憩時間が短いのですね。いささか苦しくなりそうです。
たまたま岡本綺堂の「半七」シリーズを8月から久しぶりに読み始めています。「勘平の死」は『忠臣蔵』の芝居に想をえていますが、半七のことばのところどころには、芝居に由来することがらが出てくることにあらためて気付いたりしました。半七の合間に、綺堂の『風俗江戸物語』を読んでいたところ、「芝居」の項に
「芝居の開くのは朝六つ〔午前六時〕で、果てるのが夕六つ(午後六時)[…]時によると五つ(午後八時)頃」
という記述がありました。普通で12時間ですね。しかも座る場所はずいぶん狭かったようです。その上、山の手あたりからだと、七つ〔午前四時〕起きが必要だったといいます。翌日も疲れが回復しなかったことが多かったようです。
江戸時代に較べれば(大阪から駆けつけるみなさんと較べても)、今の世の中東京に近在する人間は、11時間の楽の中の苦は、苦とするほどのことではないのかもしれません。
2006年 9月22日(金)
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