2009年2月 6日 (金)

住大夫・文雀・和生・勘十郎  2009年2月文楽公演を語る

「あぜくら会WEB通信」公開準備号
 住大夫・文雀・和生・勘十郎  2月文楽公演を語る

あぜくら会では、今後特設ホームページを開設し、耳よりな公演情報を随時お知らせしていく予定です。ホームページ公開に先駆け、「準備号」として出演者が語る2月公演への思いを掲載しました。

ということで、

第一部   『鑓の権三重帷子』師弟競演の文雀、和生のお二人
第二部   『敵討襤褸錦』は住大夫師匠が 18年ぶりの「大安寺堤」について
第三部   『女殺油地獄』は勘十郎さん

住師匠は大安寺堤を語る難しさなどを語っています。公演には心して臨まなくては。

「あぜくら会WEB通信」公開準備号住大夫・文雀・和生・勘十郎  2月文楽公演を語る|日本芸術文化振興会
http://www.ntj.jac.go.jp/topics/news090203.html

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2005年5月18日 (水)

九月東京公演の予想(2005年)

【錦糸サイト】


 5月東京公演、この土曜日第2部に足を運びます。それなのに早くも東京9月公演の予想です。住大夫師匠と錦糸さんはどこを担当されるでしょうか。(あいかわらずの話題で済みません。)

 まず第一部、「芦屋道満大内鑑」ですが、これまで住大夫さんの名前が見あたらないですね(文化デジタルライブラリーと、このサイトの公演記録など)。
 「葛の葉子別れの段」は国立劇場・国立文楽劇場では、越路大夫、綱大夫、嶋大夫という記録となっています。住大夫師匠が担当される可能性は少ないかと。

 第二部の前半、「菅原伝授手習」といえば、2002年の菅原道真没後千百年通し狂言が記憶に新しいところですが、この時お二人は「桜丸切腹の段」です。
 9月公演にある「寺子屋の段」を住大夫師匠が最後に担当されたのは、1989年国立劇場小劇場、越路大夫引退披露国立文楽劇場開場五周年で、三味線は燕三さん(ちなみに「桜丸切腹の段」=越路大夫)。
 この段を住師匠が担当されるとすれば16年ぶり、錦糸さんとのコンビは初めてになりましょうか(素浄瑠璃では1998年の記録あり)。

 第二部の後半、「女殺油地獄」の切場「豊島屋油店の段」、住師匠は文字大夫時代から何度も担当されていますが、国立劇場小劇場では、1997年公演が最後でした。与兵衛:簑助、お吉:玉男ということだったとありますが、人形遣いの記憶がないのは不思議です。この時、錦糸さんは錦糸襲名前で錦弥名です(文楽劇場ではつい最近2003年があります)。これも東京ではひさしぶりですね。

 以上の考察で「芦屋道満大内鑑」がないとすれば、第二部、「寺子屋」が久しぶりということで可能性が高いことになりましょうか。以良香未体験で歓迎ですが。

2005/05/18(水)


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2005年5月17日 (火)

2005年9月公演「菅原伝授手習鑑」「女殺油地獄」

2005年9月公演
 「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」とともに三大名作といわれる、竹田出雲他「菅原伝授手習鑑」から「寺子屋の段」を住大夫さんが語る第二部。
 もう一つ、これも有名な大近松の世話物もの「女殺油地獄」との組合わせです。こちらは役割がまだ不明です。
 第一部の「芦屋道満大内鑑」は通し公演で、中でも「葛の葉子別れの段」は有名ですが、割愛します。


[9月公演]
〈第二部〉4時開演

●竹田出雲他「菅原伝授手習鑑」
 寺入りの段/寺子屋の段

 2002年菅原道真没後千百年を記念した大阪・東京での通し公演では住大夫師匠は「桜丸切腹の段」をつとめました。今回の「寺子屋の段」はもっとも上演回数の多いものの一つで、歌舞伎でもおなじみですが、住大夫師匠が語るのは1989年以来となるようです。

[背景]
 「菅原」は、菅丞相(かんしょうじょう)=菅原道真の苗字、歴史上の人物であると同時に、死後、天神様(文道・学問の神様)として、現代でもあがめられています。また書の三聖(弘法大師・菅原道真・小野道風)の一人であり、題名にも「手習(てならい)」の文字が入っています。
 九世紀末の頃、藤原氏は他の有力貴族を排斥し、さらに皇室との姻戚関係を強め政治の分野に台頭していました。危機感をいだいた朝廷は、藤原氏以外の人物をいろんな役職につかせて勢力のバランスをとろうとします。
 その一人、菅原道真は当時右大臣、左大臣は藤原時平(しへい)、政治の場では、道真が優勢でしたが時平の讒言により、道真は大宰府へ流罪。
 さらに藤原時平は道真の息子を捕らえて首をはねろと命じます。
 松王・梅王・桜丸という三つ子の兄弟がいましたが、梅王・桜丸は道真方で、松王は藤原時平に仕えています。その松王丸以外、誰も若君・菅秀才(かんしゅうさい)の顔を知りません。

  [寺子屋(てらこや)]
 菅丞相の家来で、寺子屋の師匠をしている武部源蔵は、村の庄屋方へ呼ばれて預かっている若君・菅秀才の首を討てとの厳命を受けます。
 家に帰ってみると、見るからに高貴そうな新入生がいます。この子の親には申し訳ないが、若君の身代わりにしようと決心します。
 当時は、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」という教えが一般的でした。
 源蔵も心を鬼にしてこの考えをつらぬきます。
 源蔵の家に松王が来ます。松王は早く首を討って差し出せとせまります。
  (略)

●女殺油地獄
徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段
/同   逮夜の段

 近松門左衛門が実際の殺人事件をもとに書いたとされる人形浄瑠璃で、歌舞伎でも人気狂言です。
 殺しの罪を犯すのは大阪天満の油屋の次男・与兵衛(よへい)ですが、この油屋・河内屋(かわちや)は、先代の死後、長男はよそに独立しています。
 ふつうならば跡をつぐのは次男の与兵衛となるところ、性格の甘さを心配した母は、先代からの番頭・徳兵衛(とくべい:とくべえ)と再婚して、店をまかせたのです。
 与兵衛は「跡継ぎ失格」とされたことから急速に不良の坂道をころげ落ち、湯水のように金をつかい、暴力がたえずついに勘当されます。
 与兵衛は、近所で同業の油屋・豊島屋(てしまや)の、美しくて優しく親身な人妻・お吉に借金を頼みますが、諭されて、ことわられ、ついにお吉を手にかけてしまいます。
 夜のとばりのおりた豊島屋の油桶置き場。油まみれになりながらふたりが繰り広げる惨劇。
 初演の頃の評判は芳しくなく、ずっとお蔵入りになっていたのが、明治四十二年(1909年)に歌舞伎で上演され大当たりをとり、文楽でも復活上演されるようになったといいます。

●参考
〈第一部〉11時開演
芦屋道満大内鑑
大内の段/加茂館の段/保名物狂の段
/葛の葉子別れの段/信田森二人奴の段

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