2005年4月26日 (火)

千歳大夫さんと妹背山

【錦糸サイト】

ツツドリ 様

> しかし山城少掾のCDを聞いて、千歳大夫さんは
> 誠実に山城少掾に憧れて十分稽古しているので、
> 堂々と住師匠以上の気迫で語っているのが分りました。

山城少掾→越路大夫→千歳大夫という系譜だったかと。情けないながら、私にはそれを聞き分けられる耳がないような。


> 千歳大夫さん、初めて見たときから床本
> を本当に見ない方だな、と思っていました。

これは分かります。1999年の東京公演「妹背山」は、定高を住大夫師匠、雛鳥を千歳大夫さんという役割でした。その時、千歳さんは妹山の床からさらに客席に張り出した場所での出語り、見台なし=床本なしで務められました。しーんと文楽の世界にひたっている風情がすごい緊張感をもって迫ってきた記憶があります。
 昨年の「妹背山」、背山の久我之助と変わりましたが、通常の床での語りとなっていました。客席をつぶしての出語りに踏み切れなかったのでしょうか。

2005/04/26(火)


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2004年6月 3日 (木)

「妹背山」井戸替えの段「本朝二十四孝」のもじりについて

【ひらめサイト 麻生深雪さん2004-06-02】
《こんな舞台を添ひ聴きの 身は観客の 果報ぞと  投稿日: 6月 2日(水)17時05分16秒

 ・・・・・・春にも秋にも喜びは 舞台を前の 感激高」 
【中略】
 小学館版の「妹背山」の底本は何なのでございましょうか。原作はどうだったかも知りたいところです。「二十四孝」も「妹背山」も合作があるとはいえ、中心は同じ近松半二ですから、「こんなお娘と添臥の・・・・・・」は、半二が自ら入れたか、或いは合作の誰かが入れたか(端場だけに後者の可能性が高いと思われますが)。明るくワイワイと面白い場で、誰もが分かって笑える「いれごと」をちょっとした遊び心と顧客「サービス」で行なったとしても不思議ではない。

 美しいお姫様と市井の「オヤッさん」の家主の対象の面白さ。もじりの可笑しさ(日本語の音節の特徴がよく表れています)は、文に練達でなければ出来ないと思うのですが、ただ半二だともう少し詞章が滑らかになるのではないかと。【後略】

 小学館版『浄瑠璃集』新編日本古典文学全集77巻(2002年10月20日第1版第1刷)所収の「妹背山婦女庭訓」の底本は7行99丁本である旨解説にありました。
 きっちりと見たわけではありませんが、先日有朋堂文庫版『海音半二出雲宗輔傑作集』(1914年8月10日刊)をぱらぱらと見たところ、「本朝二十四孝」のもじりは入っていませんでした。(底本は控え損ねました。)

 「本朝二十四孝」が話題になったのを機会に、岩波文庫版『本朝廿四孝』(1939年5月2日発行)を(もちろん古本で)購入したままだったのを読むことにしました。
 2001年9月の東京公演第一部を思い起こしたり、パスした二部を想像しながら通読し終わりました。同書の解説に「派生的な構想を多く用意した為めに、本曲が極めて複雑な組織をえた如く見られるが、而も破綻を産まなかった」とあるように目が回りそうな展開が収束していく面白さを味わいました。
 なかでも簑助さんが演じた八重垣姫、想像すると次に機会があれば逃すまいと思わずにはいられませんでした。

 「申し勝頼様。親と親との言号[いひなづけ]。有りし様子を聞くよりも。嫁入りする日を待ち兼て。お前の姿を絵に描かし。」から始まる例のくだりですが、姿を見たこともなく既に亡い(と言われている)許嫁に呼びかけることば、近松半ニ自身が他作のなかでもじるにはあまりに乙女にこそふさわしい名調子であろう、そんな気がしました。

 もじりの見事さ、麻生深雪さんの言われる対象の妙、初めて語られたとき聴衆の喝采をえたと思いますが、小学館版、有朋堂文庫版と通り、初演当時(少なくともその初め)にはなかったのではないかと推量します。いずれにせよ、誰が始めたか興味が残ります。

2004年6月3日

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2004年5月31日 (月)

とんだ勘違い & 井戸替えの段

とんだ勘違い
 5月23日にアップした楽屋訪問の中に、「三輪大明神を祭っている」「以前も楽屋に何の神であったか、その名を掲げたのを見たことがありました」と書きましたが、どうもそのような例はなさそうでずっと気になっていました。
 5年前の妹背山の東京公演パンフレットを見直していたところ、杉酒屋の段の写真に三輪大明神とありました。なんのことはない、この段の小道具だったのですね。楽屋へおじゃましたときは、二週間前に見た四段目の場面がすっかり念頭から消えていました。

【ひらめサイト 麻生深雪さん2004-05-12】:
《片糸の 絶ゆなとばかり 星の逢ひ 投稿日: 5月12日(水)20時08分13秒
【前略】
最初に「妹背山」を拝したのは、’86年4月の日本橋にてで、その年の初春公演での津大夫師匠の「合邦ヶ辻」で舞い上がっての、通い小町の始まりが「妹背山」でした。

どなたがどなたで、どなたが糸やら大夫やらも覚束ぬ、頼りない客でしたが、玉女さんの子太郎や、井戸替の段でしたか、「こんな御娘と添臥しの 身は家主の阿呆ぞと」という「二十四孝」からのもじりが、初心者の身にはおもしろかったのを思い出します。》


井戸替えの段の不思議
 麻生深雪さんが書かれていた「あんなお娘と添臥しの、身は家主の、あほうぞと」のことば、ひでかずさんが書かれていたとおり、小学館版『新編 日本古典文学全集 77』には見あたりませんでした。

2004年5月31日

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2004年5月27日 (木)

馬子 蝦夷 入鹿

【ひらめサイト ひらめさん2004-05-24】

《祝千穐楽 投稿日: 5月24日(月)00時43分7秒
【前略】
これで東京は9月まで文楽とはしばしのお別れです。祭が終わった後の寂しさよ...

 先にひらめさんが書かれているように、さびしい…、でいっぱいです。舞台を思い返しつつ、ネット上の書き込みをいろいろ読んで心をなぐさめています。

咲大夫さんのコラムの紹介
 「妹背山」金殿の段は咲大夫さんでしたが、東京新聞のサイト「名流」に、お三輪にゆかりの三輪神社へ参詣されたことを書かれています。

http://www.tokyo-np.co.jp/meiryu/20040508m3.html

 その中で、馬士歌の「竹に雀」を歌うくだりで「馬子(むまこ)の歌なら面白からふ」という官女の詞を挙げ、他の個所はすべて馬士(まご)であることの指摘があります。
 そう、入鹿の祖父は蘇我馬子です。

【ひらめサイト ひらめさん2004-05-25】

《幕降りて 投稿日: 5月25日(火)23時15分16秒
【前略】
以良香さま
以前にどこかで聞いた話ですが、あの「床」は、一度設営するのに結構な時間と経費がかかるそうです(うろ覚えなので定かじゃないですが、確か一回あたり十数万とか何とか....)
まあ経費はともかく、昼夜の合間40分で撤去するのは物理的に無理なのかもしれません。【後略】》

ひらめさま
 床についての情報ありがとうございました。簡単に外したり戻したりできるならそうしてるはずですよね。国技館の土俵はモーターで上げ下げするという話をしていた人がありましたが。

2004年5月27日

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2004年5月23日 (日)

三輪大明神 ほか

【ひらめサイト】

千秋楽の前日
 8日の第二部から間をおき、22日に第一部という変則な妹背山でした。
 山の段、妹山、背山、両者のかけあいという変化はあるにしても、舞台転換もない2時間、その長さを感じないまま客席からわきあがる拍手の中、幕が引かれていきました。
 第一部が終わって今回は客席から楽屋に移る間、とても【通しでこれから】第二部は無理だと感じました。5年前は通しの体験があったのにと思いますが、体力・気力の衰えということが大きな要素でしょうが、それにもまして、自分の存在自体が山の段に取り込まれてしまった感じでした。
 その一方、本来の通し、一段目と二段目が第一部、第二部が三段目と四段目、であれば体力はともかく、気力はもったかなとも。理論的には説明しづらいのですが…。
 なんにせよ、妹背山は千秋楽。5年前の通しに続いて、第二部、第一部、それぞれ楽しむことができました。まがりなりにも全段を味わった妹背山の世界は、自分の中で時間をかけて自分なりに溶け合わされていくだろうと思います。
 
楽屋にて
 2月に続いて、文字栄大夫さんのご案内で舞台裏にお邪魔しました。一部と二部の間が約40分と、比較的ゆとりがあったためか、訪れる文楽ファンが多いなと感じました。初めての方もいるので文楽の始めからの説明を受けましたが、多少慣れているわたし自身もいろいろ発見がありました。
<三輪大明神>
 ああそうかと感じたのは、三輪大明神と大きく書かれ、掲げられた文字です。お三輪は三輪大明神の化身というわけではないようですが、「忝い。とはいふものの今一度、どうぞお顔が拝みたい。…なつかしい、恋し恋し」との永遠に消えない思い。手負いの橘姫が追いかける龍はお三輪の化身か、という見方もあるようです。三輪大明神を祭っているのはその関係でしょうか。
 以前も楽屋に何の神であったか、その名を掲げたのを見たことがありました。このあたりについてご教示いただければありがたいです。
<人形>
 金殿の段に出てくる局たちが出番を待っていました。文字栄さんの説明によると、局の性格を強調するために、一部男の頭を使っているということで、見ると確かに男の頭の眉毛を白く塗りつぶして使っていました。 
 以前人形が楽屋では小さいと書きましたが、入鹿が飛び乗って勇んで出陣する馬がこれまた小さい。でも蹄がちゃんとあるのですね。
<妹山の床>
 廊下の観客席に近いところにカバーのかけられた観客席の椅子がいくつか置かれていました。妹山の床をしつらえるために外された椅子どもでした。第二部では不要なのだから、二部の時には椅子に戻したら少しはチケットの数も増えるのに、などと考えてしまいました。

2004年5月23日

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2004年5月20日 (木)

文楽、舞台の後の楽しみ

【ひらめサイト】

麻生深雪さんからお三輪にかかわって、ご教示がありました。その要点。
(1) 山を御神体とする「オオミワ神社」は正式には「大神神社」。また三輪山の枕詞は「味酒(うまさけ)」。
(2) 七月七日は技芸上達を願って竿の先に五色の糸を掛けて祭る。「井戸替え」もこの日に行われ、「水神」の祭祀でもあった。

 5月18日の書き込みについては、手近な文献の該当するところをざっと調べてみましたが、麻生深雪さんが書かれているような奥深さが文楽の詞章の至るところにあるのですね。
 今回の第一部の舞台には間に合いませんが、その後舞台を思い返しながら、いろいろと文献をあたりなおしてみたいと思っています。それも文楽の楽しみの一つかなと。

2004年5月20日

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2004年5月18日 (火)

お三輪と橘姫

【ひらめサイト】

お三輪ちゃんかわいそう
 9日の書き込みで、「お三輪ちゃんかわいそう」と、8日土曜初日の第二部で、文楽を初めて体験された女性のことばを紹介しました。
 わたし自身も、舞台終了後、小劇場から半蔵門駅までの道すがら、また駅のプラットホームでもお三輪について考えてしまいました。うえさんがホームを通りかかられた時に、ご挨拶はしましたが、上の空だったかも。
 寝床でも、しばらく寝付けませんでした。日曜日は、野球の試合を応援するため、5時おきだったのですが。不眠症気味の方はご注意を。

お三輪と橘姫について考えたこと
 四段目についてのみなさんの書き込みの鮮烈さに、8日の舞台を反芻することしきりです。蛇足となり、また見当違いのことなどお許しあれ。

(1)5年前の通し公演、四段目の印象が薄かった
 9日に「今回は「入鹿誅罰の段」が入り…、より強い印象を受けました」と書きましたが、本当は、10年前、今回の第二部とほとんど同じだった第二部はパスしてします。通しでがんばった5年前の公演では、三段目・四段目が第二部を構成していたのですが、三段目の記憶のみ強く、四段目の記憶はあまりないのです。
 最終盤くたびれたことがその原因の一つですね。段を追っていくために、お三輪をめぐる段と三段目とがともに全体の流れの中にはめこまれる。その中では、太宰と大判事両家の対立という枠組みの中の、久我之助と雛鳥の恋、三段目が印象に残る。そんなことが第二の原因でしょうか。
 今回の第二部は、二段目・四段目と、入鹿の出生にまつわる笛がテーマで、その中ではお三輪の段が浮き出て感じられたということでしょうか。

(2)金殿の段のお三輪と入鹿中罰の段の橘姫
 前回のように金殿の段で終わっていれば、お三輪はかわいそうだけれど、後は入鹿が討たれて大団円になっていくのだとの余韻を持って劇場を去ることになります。
 今回「入鹿誅罰の段」が入りました。
「橘姫は手疵も忘れ、…たとへ誠の悪竜なりとも、何か恐れん。夫のため、あぎとにかかり死ぬるとも、厭はぬ厭はぬ。」と追っていく姿と、その前段、お三輪の「あなたのお為になる事なら、死んでも嬉しい、忝い。とはいふものの今一度、どうぞお顔が拝みたい。恋し恋しといひ死にに」とが対比されます。
 お姫様はどうなるのでしょう、と聞かれ、手傷を負って足も空、というのだからなくなるのではと、答えました。どちらもかわいそうですが、この対比によって、お三輪の哀れさ、いとおしさが強烈に胸に迫ってくるように思います。
 そんなことを、寝付けぬうちに考えていました。

五段目
 上演されない五段目について、新編日本古典文学全集77巻『浄瑠璃集』(小学館、2002年)を見ました。
 忠臣たちに恩賞が与えられます。三作は大判事の養子となり、橘姫は忠義の貞節により淡海の妻に……。手傷を負っても死ぬとは限らないが、ではお三輪はいったい、しばし絶句。

お三輪は神に
 四段目入鹿誅罰の段の結び、「思へば伊勢とお三輪が菩提。賤の苧環、繰言を、繰り返したる言の葉を末に、伝へし物語」。「さてまたみなみはみはの山しづのおだまき。くりかへしくりかへしかへれやかへせ」(天智天皇・四、上掲書注の引用)。
 このことばと、五段目の大団円中の久我之助と雛鳥の追福、全体として鎮魂の結びとなっていくようです。
 五段目なしで浮き世に戻されるのはつらいようです。

2004年5月18日

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2004年5月13日 (木)

妹背山「通し」愚考

【錦糸サイト 春子さんの書き込み2004-05-11】
《東京公演初日
【中略】
そうそう、ちらしによると第1部は初段と三段、第2部が二段と四段になっていますよね。ストーリーわからなくなりませんでしょうか?通し狂言なのに、通していない狂言なのは、どうしてなのでしょう?と素人の私は考えてしまうのですが。【後略】》

晴子様
 妹背山の今回の東京公演の構成についてですが、ご指摘の通り、本来段をおっての公演が本来の「通し」だろうと私も思っておりましたので、某サイトでもそのように書きました。5年前の東京公演は順を追っていて、その時は朝から夜まで、通しでがんばりました。
 今回いろいろな事情があり、8日に第2部、22日に第一部と変則なことになりましたが、その途中経過では、今回のような構成もあり、という想いです。やはり一日通しというのは、体力的にも財布的にもかなり負担がおおきく、第一部、第二部のどちらかだけという方も多いと思います。
 一部二部を通される方にとっては順序だった方が望ましいですが、どちらかだけという方には、二段目、四段目が関連した内容ですので今回のような形でよいかなと思った次第です。
 ちなみに、10年前の東京公演は今回と同様の構成でした。

2004年5月13日

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2004年5月 9日 (日)

「妹背山女庭訓」半分終り、後は山の段(2004年5月)

【ひらめサイト】

 8日土曜日、妹背山、第一部は後に回して第二部に行ってきました。初日には何か他の日にない華やかさがあるかと思っていましたが、いつもと変わらないのが意外でした。一部と二部は同じくらいの時間かと思っていたところ、第一部は4時間20分ちょっと(幕間の休憩含む)なのに対して、第二部は5時間10分とこちらの方が長い。時間からいえば、5月公演の半分以上が終わってしまった勘定です。けど、山の段が残っているわい。

シアターガイド6月号
 入場する前に紹介のあったシアターガイド6月号を喫茶店で。文楽の記事では、千歳大夫さんが、「床がくるっと回ると、客席に放り出されたような気がしますよ」とは、風貌からは考えられなかった。他に、俳優座劇場の記事で今の前の劇場を、梅雀さんの記事で先代国太郎と梅之助の魚屋宗五郎をしばし思い出したりしました。今は文楽一筋、といっても東京公演年3回。ところで、5年前の公演では雛鳥を出語りで千歳さんが演じましたが、今回はどうだったのでしょうか。


新しい文楽ファン
 文楽仲間は多いのですが、今回の公演一部二部ともにというのは私だけ、しかもほとんどは一部山の段。もっとも、両方ともというのが無理なら山の段、と推奨したのは私だけれど。そんなわけで、山の段体験者二人との計三人の予定。ところが一人が都合が着かず代わりに文楽は初めてという方が参加したので、イヤホンガイドはいかがと薦めました。シェークスピアの英語上演をガイドなしで体験、言葉は十分にはわからなかったけれど雰囲気は伝わってきたそうで、イヤホンガイドなし。開演前と幕間につたない解説を加えました。お三輪ちゃんかわいそうと、たいへん気に入ったようで、9月公演にも関心を寄せてもらえました。何やらチケットをますます取りにくくしているような。

ひらめメイト
 ひらめさんの姿をお見かけしました。他にもひらめメイトの方がたくさんいらしてたのでしょうが、時間の制約のため、YASUさんとうえさんに挨拶できただけ。
 YASUさん、あれだけ大阪での幸せな気分に浸りきっている様子をたっぷりと書き込んでいたので、まさか東京でお見かけするとは。定評ある和服姿でないのは風邪がまだ治りきっていないためなそうな、でもこの日も通しでと。2月と同様、東京へは仕事のためだそうですが、うらやましいです。
 ひらめサイト上で8日の前日やりとりのあったうえさんから連絡をいただき、短い休憩時間にようやく声をおかけすることができました。和服姿で身じろぎもしづらいでしょうし、前から3列目でちょっと舞台が見づらそう。ひらめさんの曰く「自分の首がポロッともげるんじゃないかしらん」状態にならなかったでしょうか。
 ひらめメイトで何人の方が通しに挑戦したのでしょうかな。とりわけ二部は25分、10分と休みが入り、後は2時間ぶっ通しという重量感。少しですが途中で観客がちょっと減り、ああ惜しいなといいたくなったものです。

道行
 四段目は、三段目山の段とちがってこれまで印象に薄く、2月にアナログ人間さんに対して、道行恋苧環は、三大道行と呼ばれているようだと紹介しておきながら、「華やかな曲節で飾ったのが道行で、時代物では…いろどりとして必ずつけられた」(文楽ハンドブック改訂版、三省堂刊)ものが、求馬をお三輪と橘姫が取り合う場面でどうなるものかと危ぶんでいたのですが、やはり道行となっていました。

四段目の異同
 二段目と三段目が入れ子になったり順番どうりになったりという相違があっても、演ぜられる段は同じなのですが、四段目には異同があります。1994年にあった「井戸替えの段」が1999年には省かれ、今回は「入鹿誅罰の段」が入りました。求馬をめぐる二人のうち、橘姫の行く末が今回は演じられ、お三輪橘姫について、より強い印象を受けましたが、この点はまた。

2004年5月9日

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2004年5月 7日 (金)

妹背山公演の構成

【ひらめサイト うえさん2004-05-07】

《いよいよ東京公演。「妹背山」は初めてですし、通しで観られるので、私にはありがたいです。
1日付東京新聞夕刊の玉男さんや住大夫さんの「妹背山」に臨む意気込みの記事や、5日付産経の咲大夫さんのインタビュー記事を読んで、ますます楽しみになっています。
ところで、チラシを見ますと、二段目が三段目を間に挟んで分かれていますが、これは、お話の筋的にはこんがらからないのでしょうか?初めてなので、ふと疑問に思いました。》


うえさん
 1月( 「妹背山婦女庭訓」段を追ってほしい http://iraka.tea-nifty.com/butai/2004/01/post_9c07.html
に書きましたが、「妹背山婦女庭訓」の通し公演、東京の前回1999年は段をきちんと追っていたのですが、お客を呼ぶ三段目・四段目がともに第二部にあったため、第一部は入りが悪かったようです。
 その前に1994年の場合は、今回と同じく二段目が第一部と第二部とに分割される構成でした。本来の通しとは違うようには思いますが、筋がそのためにこんがらかるという苦情はなかったように思います。今回わたしの場合、明日は二部で、一部は22日という変なスケジュールになりましたが、それぞれの聞き所、見所を楽しみたいと思っています。
 うえさんは一部二部とも明日ということでしょうか。1999年の通し体験での実感では、体力というか、身体の一部がいたくなりました。

2004年5月 7日(金)

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