2011年12月26日 (月)

文楽と歌舞伎の忠臣蔵

 伝統芸能情報館の今の展示は仮名手本忠臣蔵がテーマで、12月10日の文楽公演の前に展示をみました。
 12月15日、ある会合で会場に早く着きすぎたので、ICレコーダーに転送してある落語の中から、八代目林家正蔵の演ずる中村仲蔵を聴きました。仮名手本忠臣蔵の五段目、冴えない役であった斧定九郎を仲蔵が工夫して、現在の型を創出したという噺、何回か聞いていますが、また約26分を楽しみました。他にも落語では歌舞伎の忠臣蔵がよく出てきます。
 翌16日は金曜日、NHK Eテレのにっぽんの芸能をよくみます。番組表だと、この日は前半の花鳥風月堂、後半の芸能百花繚乱とも仮名手本忠臣蔵がテーマで、後半は文楽で見る全十一段、各段のダイジェストのようでした。あいにく借りぐらしのアリエッティと重なっていたので、Eテレの方を録画し、アリエッティが終了後、文楽での五段目あたりだけ再生してみました。落語で仲蔵が改変する前の定九郎の説明がありますが、文楽では原作通りの姿で出てくるので、ちょっと笑ってしまいました。六段目も文楽と歌舞伎では違いがあることが解説されています。
 歌舞伎はほとんど見たことがないので、歌舞伎での仮名手本は想像するだけですが、花鳥風月堂が歌舞伎での仮名手本でした。23日に五段目がでてきて、仲蔵の演じた型が今も演じられていることがよくわかりました。

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2006年5月11日 (木)

「仮名手本忠臣蔵」について あらすじ

《仮名手本忠臣蔵について》
 作者は竹田出雲、三好松洛、並木千柳
 寛延元(1748)年八月、大坂・竹本座初演

 文楽の中で「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」は三大名作と呼ばれています。
 赤穂浪士の敵討は事件の直後から人形浄瑠璃(現在の文楽)、歌舞伎でも度々取上げられました。それらのいわば集大成として、事件の四十七年目の寛延元年(一七四八)八月大阪竹本座で上演されたのが人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」です。なお、幕府への配慮から『太平記』の設定を借りています。
 〈通し狂言〉とは、時代物浄瑠璃全段を上演することですが、現在は多少省略される段があります。

《粗筋》
[大序] 鶴が岡兜改めの段/恋歌の段
 足利尊氏が将軍となり、鶴ケ岡八幡宮を造営します。その落成祝いに尊氏の弟の直義が代参します。接待役として塩谷判官と桃井若狭之助が当たります。
 四十七もある兜の中から敵将新田義貞の兜を探しだし、奉納することになりますが、兜あらため役を仰せつかったのは塩谷判官の奥方顔世御前です。
 この美しい顔世に以前から懸想していたのが、足利家の執事、高師直。つけ文をし、夫の塩谷判官が無事に饗応役を勤められるかどうかは顔世の返事ひとつと、いやらしくすりよります。それを若狭之助に邪魔された形になって、師直は若狭之助を罵倒します。くやしさのあまり刀を抜こうとする若狭之助を抑えたのは塩谷判官。

[二段目] 桃井館本蔵松切の段
 若狭助は私情からではなく、天下国家のために師直を斬る決意を本蔵に明かします。血気にはやる若き君主若狭助と沈着冷静な老臣加古川本蔵のやりとりが眼目です。

[三段目] 下馬先進物の段
 足利館の門前に差しかかった高師直の駕籠に、本蔵が直談を願い出ます。師直の家来鷺坂伴内は、鶴ケ岡八幡宮での恨みを晴らしにきたのかと気色ばみますが、実は、贈り物によって師直の若狭之助に対する態度を軟化させようというのが本蔵の狙いでした。

同 殿中刃傷の段
 師直のいじめの対象が塩谷判官に移り、顔世から拒絶された恨みも手伝って、師直はねちねちと判官をなじります。じっと堪えていた塩谷判官の堪忍袋の緒が切れ、師直に斬りつけますが、本蔵をはじめ駆けつけた大名達に取り押さえられてしまいます。

同 裏門の段
 早野勘平は主人の供をして登城していながら、恋仲のおかると逢っていて、職務を怠っていました。責任を感じた勘平が死のうとするのをおかるは必死で説得し、ふたりで山城国山崎のおかるの実家へと向かうことになります。

[四段目] 花籠の段
 判官は閉居を命じられ、顔世ほか幕府の命令を待っているところに、上使が到着します。
 
同 塩谷判官切腹の段
 判官の無念の思いが由良助に受け継がれ、密かに決意する場面です。歌舞伎では「通さん場」と呼び、緊迫した場面の雰囲気を壊さないように、入場を規制します。

同 城明渡しの段
 現在の文楽の演出では、評議の場面、門外での諸士とのやりとりなどは省略し、由良助が館を去る姿を見せる場面としています。

<以上第1部>

[五段目] 山崎街道出合いの段
 前段から時移り、所変わって闇夜、雨模様の山崎街道。猟人となった勘平は狩に出た先で、同僚だった千崎弥五郎に出会います。敵討のための経費調達をしていると打ち明けられた勘平は、明後日には金を届けるからと約束して、由良之助への取り成しを弥五郎に頼みます。

同 二つ玉の段
 一方、おかるから夫のため金をこしらえたいと相談された父親の与市兵衛は、祇園に出向いて娘を身売りする話を決めます。半金の五十両を懐に夜道を急いで帰る途中、無残にも殺されてしまいます。殺したのは、斧定九郎、判官の家老斧九太夫の息子で、親に勘当されている身でした。
 そのとき、猪が逃げてくるのを追って火縄銃の銃声。手ごたえを感じた勘平が暗闇を探ると、猪ではなく、人。勘平の手に、財布が触れ、連判状に加わりたい一心から、勘平は逃げ帰ります。


[六段目] 身売りの段
 翌日与市兵衛の家。おかるが母親のおかやと留守を守っているところに祇園の一文字屋の女将お才が、おかるを連れにやってきます。勘平が戻り、おかやが事の次第を話します。お才が、これと同じ財布に五十両を入れ与市兵衛に渡した、と財布を見せます。その柄を見て勘平は、殺したのは舅だったのか、とうなだれますが、「おやじさまには昨夜あった」と嘘をつき、おかるを送りだします。

同 早野勘平腹切の段
 与市兵衛の死骸が運び込まれ、勘平はおかやに舅殺しを責め立てられます。また、同僚には舅殺しは主君の名を辱めると、一味同心を断られてしまい、勘平は、申し訳にと刀を腹に突き刺します。与市兵衛の死骸を確かめると、死因は勘平の火縄銃でないことが判明し、勘平は連判状に加わります。

[七段目] 祇園一カ茶屋の段
 祇園の一力茶屋で遊び呆けている由良之助を、息子の力弥が忍んで来て、顔世からの急ぎの書状を届けます。家老の斧九太夫は、師直の家来鷺坂伴内と通じていましたが、床下に忍んで書状を盗み読みします。二階にいたおかるも鏡をつかって盗み読みします。
 由良之助は、おかるに身請け話を持ちかけます。三日囲ったら好きにしていいと言われ、大喜びするおかる。そこへ、兄平右衛門が、おかると対面し、身請けの話は由良之助がおかるを殺す気と察し、妹の首を差しだすから連判状に加わらせてくれ、と言いだします。お軽は夫の勘平が死んだことを聞かされ、命を捧げる覚悟をします。
 それを聞いた由良之助は、刀を握ったおかるの手を取ると、縁の下にいる九太夫を刀で突き刺します。連判に加わりながら死んでしまった勘平の代わりに、おかるに九太夫を討ち取らせたのです。また、平右衛門に東下りの供を許します。

<以上第二部>

[八段目] 道行旅路の嫁入
 旅人が行き交う東海道を、加古川本蔵の妻戸無瀬と娘の小浪が京を目指しています。小浪は由良之助の息子の力弥の許婚だったのですが、塩谷家がお取り潰しになって以来、結婚の話は立ち消えになっていました。力弥が恋しくてならない娘の気持ちを何とかしたいと、戸無瀬は小浪を伴い山科の由良之助を訪ねるのです。
 「道行初音旅」(義経千本桜)「道行恋苧環」(妹背山女庭訓)とともに三大道行とよばれる道行の名曲です。

[九段目] 雪転しの段 山科閑居の段
 山科の閑居を訪れた母娘を、由良之助の妻お石が出迎えます。娘を嫁にと戸無瀬が言いだすと、師直に媚びへつらった本蔵の娘を嫁に迎えることはできない、と断られます。断られたからと言って、帰られましょうか、と戸無瀬は刀を抜き、ふたりでここで死ぬ覚悟です。
 刀を振り上げたそのときに「御無用」とお石が止めます。力弥との祝言を許すから、そのかわり本蔵の首を差しだせとの言い分です。判官は、本蔵が抱きとめたために師直を斬りそこねました。判官の無念をよそに、本蔵の娘を嫁にするからには、それなりの引き出物が必要だと。
 そこへ本蔵があらわれ、罵詈雑言をお石に浴びせかけ、お石は槍を手に本蔵に勝負を挑みますが、本蔵に槍をたたき落とされます。力弥が飛びだし槍を拾うと、本蔵の脇腹を刺し貫きます。
 そいに由良之助、計略通り婿の力弥の手にかかって死ぬのは本望だろうと由良之助に見破られ、本心を打ち明ける本蔵です。

[十一段目] 花水橋引揚の段
 大詰は花水橋(実説の両国橋)引揚で打出しとなります。

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2006年9月「仮名手本忠臣蔵」

 文楽9月公演のご案内です。

5月公演が明後日から始まるというところ、チケット入手が困難な状況が続いている関係で、第一報とします。

 9月公演は、あまりにも有名な「仮名手本忠臣蔵」の通し公演です。まだ住大夫さんがどの段を語るか不明(「山科閑居の段」だと一部の方に流してしまいましたが、まだ未定だとのことです)ですが、東京での通し公演は2000年以来、たまには挑戦してみてはいかがでしょう。
 とはいっても、第一部 10時30分開演、第二部  2時30分開演、第三部 6時30分開演(終演予定=9時30分)で、各1等席 5700円ですから、通しとなると財布も痛いしお尻も痛い、ということで相当な覚悟が必要です。したがいまして、推奨日は9月23日(土)第2部か、第3部とします。

 住大夫さんは前回の通し公演などで「山科閑居」を語っていて、この段を語れる人は他にはいない感じですが、昨年素浄瑠璃の会で「勘平腹切の段」を語っていて好評だったので、こちらかもしれません。
 まだ肝心の段と時間が決まっていませんが、いまからおよその腹づもりをしていただきたいと思います。

《9月公演演目》
国立劇場小劇場
公演期間 2006年9月8日(金) ~ 2006年9月24日(日)
開演時間
第一部 10時30分開演(終演予定=2時)
第二部  2時30分開演(終演予定=6時)
第三部 6時30分開演(終演予定=9時30分) 

演目
国立劇場開場四十周年記念
二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言仮名手本忠臣蔵

〈第一部〉10時30分開演(終演予定=2時)
大 序  鶴が岡兜改めの段/恋歌の段
二段目  桃井館本蔵松切の段
三段目  下馬先進物の段/殿中刃傷の段/裏門の段
四段目  花籠の段/塩谷判官切腹の段/城明渡しの段

〈第二部〉2時30分開演(終演予定=6時)
五段目  山崎街道出合いの段/二つ玉の段
六段目  身売りの段/早野勘平腹切の段
七段目  祇園一力茶屋の段

〈第三部〉6時30分開演(終演予定=9時30分)
八段目  道行旅路の嫁入
九段目  雪転しの段/山科閑居の段
十一段目 花水橋引揚の段

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2006年2月14日 (火)

矢間親子

【錦糸サイト 花びら餅さん】

矢間十太郎とは・・.

以良香さんのご指摘の矢間十太郎という方は、一月の公演の忠臣講釈で出てきた喜内の息子の重太郎、その人のことですか。
この人が師直を炭小屋から発見したのですか。
そんなにヒーローだったから、外伝物で「喜内住家」なんて話もうまく作られたわけでしょう。

私なんかいい歳をして、忠臣蔵の内容を詳細知りません。さて、はて、これからの若い世代の人々に、忠臣蔵、ひいては喜内住家のような演目を理解できるかどうか。【後略】

2006/01/27(金) 15:48

花びら餅様
 > 私なんかいい歳をして、忠臣蔵の内容を詳細知りません

 映画が3本立ての時代、正月映画には必ずといっていいほど、忠臣蔵あるいは赤穂浪士というようなタイトルのオールスターものがかかっていたような記憶です。予告編で見るものの実際には見なかったようで、主な人物しか記憶に残っていません。花びら餅さんの書き込みを読みインターネットで当たってみました。

 『太平記忠臣講釈』の矢間重太郎は、『仮名手本忠臣蔵』と同様に、十太郎と書かれることもあったようですが、モデルは間十次郎光興ということになります。父親の間喜兵衛光延と弟の間新六郎光風も四十七士に数えられています。文楽の『仮名手本』には表れませんが、歌舞伎では、矢間喜兵衛、矢間新六として登場することがあるようです。

2006/02/14(火)

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2006年1月25日 (水)

勘平の切腹 浄瑠璃での勘平六段目【また長文失礼します】

【錦糸サイト】

【勘平は義士か】
 松岡正剛の千夜千冊『東海道四谷怪談』鶴屋南北では、勘平について


 「『忠臣蔵』は御存知47人の義士討入りの芝居になっている。
 その忠臣に入らなかった、あるいは入れなかった者が何人もいた。これを当時は義士に対して不義士といった。芝居の『忠臣蔵』では五段目「山崎街道」の斧定九郎と早野勘平が不義士にあたる。」

 としています。
 しかし、大詰「光明寺焼香の段」でなんと勘平は総大将由良助をさしおいて、二番目の焼香となります(一番は師直を柴部屋から見つけ出し、生捕りした矢間十太郎)。

 「「二番目は由良助殿イザ御立ち」と勧むれば、[中略]、大星懐中より碁盤縞の財布取出し、「これが忠臣二番目の焼香、早野勘平が成れの果。[中略]イヤナニ力弥、この財布平右衛門に渡せよ」[中略]「ハッ」とばかりに平右衛門押し戴き/\、「お情こもるそのお詞。草葉の蔭よりさぞ有難う悦ぶことと存じます。冥加に余る仕合せ」と財布を香炉の上に着せ、「二番焼香早野勘平重氏」と、高らかに呼ばはれば、列座の諸士も賞美の詞、[後略]」(浄瑠璃は八介さんのサイト床本集による)

 この焼香の段につながる六段目で勘平は、

 「[郷右衛門]「オヽ徒党の人数は四十五人、汝が心底見届けたれば、その方を差し加へ一味の義士四十六人。これを冥途の土産にせよ」と、懐中の矢立取り出だし姓名を書き記し、[中略]腹十文字に掻き切り、臓腑を掴んでしつかと押し、「サ血判、仕つた」」

 と、連判状に加わっています。そして、

 「[勘平]「チエヽ忝なや有難や。わが望み達したり。母人、嘆いて下さるな。舅の最期も女房の奉公も、反古にはならぬこの金、一味徒党の御用金」と、言ふに母も涙ながら、財布と共に二包み、二人が前に差し出だし。「勘平殿の魂の入つたこの財布、婿殿ぢやと思うて敵討の御供に連れてござつて下さりませ」「オヽ成程、尤もなり」と、郷右衛門金取り納め、[中略]、「死なぬ死なぬ。魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する」と、言ふ声も早四苦八苦、『惜しや不憫』と両人が、浮む涙の玉の緒も、切れてはかなくなりにけり。」

 と、六段目の財布は焼香の段に連なっていきます。

【判官と勘平の死、由良助のとらえ方】
 勘平の絶命のことばについて、前回ご紹介した吉之助氏の「しゆみし場での切腹:「仮名手本忠臣蔵」」は次のように指摘します。

 「これは強烈な科白です。実は、この勘平の科白も「太平記」での正成の最後の言葉「七生までただ同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさや」を踏まえているのです。つまり、塩谷判官の切腹の時の科白と同じく、勘平も成仏することを拒否して敵を打ち滅ぼす執念によって生きよう(あるいは生れ変わろう)としています。」

 また、吉之助氏は、焼香の場に触れた後、

「由良助が勘平の財布のことを片時も忘れなかったのは、勘平の無念の死を気の毒に思ったからだけではなかったように思います。由良助は判官の怒りを我が怒りとして受けとめたように、勘平の怒りをも我が怒りとして受けとめたのでしょう。」

と見ています。

【六段目とは】
 「仮名手本」における六段目の地位について、竹本綱大夫『芸談かたつむり』から引きます。

 「[前略]六ツ目の「勘平住家」の方は「扇ケ谷」とはまったく逆であります。勘平が腹を切って見得をするだけの、ストーリーは単純なものでありますから、これにわざとヤマをこしらえてかかりますと、かえって聞きぐるしいものになり勝ちです。その上に三段目の格式を備えねばならぬというずいぶん厄介な浄るりでありまして、私の師匠もつねにそれをいっております[後略]」(音曲の司 補完計画 《其ノ二 二世古靱太夫・三世清六の「六段目」-音曲の司たる義太夫浄瑠璃音楽の神髄-》から孫引き)

 三段目は、「義経千本桜」「すしやの段」、「菅原伝授手習鑑」「桜丸切腹の段」、また「妹背山」「妹山背山の段」です。文楽「仮名手本」を通して捉える時、これらに当たる六段目で描かれる勘平の死を、判官と同じ切腹ということばで私は捉えています。

URL一覧
【松岡正剛の千夜千冊『東海道四谷怪談』鶴屋南北】
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0949.html
【八介さんのサイト 床本集】
http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon.htm
【歌舞伎素人講釈】
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/index.htm
【しゆみし場での切腹:「仮名手本忠臣蔵」】
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin38.htm
【音曲の司】
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Kumiko.Tada/ongyoku/index.htm
【補完計画】
http://www.oneg.zakkaz.ne.jp/~gara/ongyoku/hokan.htm

2006/01/25(水)

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2006年1月16日 (月)

歌舞伎の勘平、また別の型があり【長文失礼します】

【錦糸サイト】

【勘平、歌舞伎上方の型の一つ】
 勘平の演出について、上方では前回述べたのと違う型もあるようです。

 「朝日マリオン・コム」サイトの《幕の内外》88歌舞伎鑑賞教室は、「珍しい上方演出のおかる・勘平」として、水落潔著「上方歌舞伎」(東京書籍)から

 「東京の『音羽屋型』は、勘平を典型的な二枚目ととらえ、その悲劇を様式美豊かに綴(つづ)ろうとしている。これに対し、上方は戯曲本位に、運命に見放された若者の悲劇をドラマチックに綴ろうとする」

と引用し、その例として、

 「6段目の勘平。家に帰っての着替えも、鮮やかな浅葱の紋服ではなく、肩当ての付いた縞の普段着だ。腹を切るのも、舞台奥で後ろ向きのままだし、おなじみ『色に耽ったばっかりに』で、頬に真っ赤な血を付けることも、今回はやっていない。紋服を掛けてもらいながら絶命する勘平が哀れだ。」

 と述べています。文楽の勘平に近いような気がします。

【勘平と役者】
 吉之助氏のサイト「歌舞伎素人講釈」「作品研究」の中に、「しゆみし場での切腹:『忠臣蔵』をかぶき的心情で読む:その3『早野勘平』という項目があり、六段目を扱っています。
 その中に

「寛延2年(1749)、江戸の森田座で『仮名手本忠臣蔵』が上演された時(これは江戸歌舞伎で三座競演で『忠臣蔵』を演じた最初に当たります)、勘平を勤めた嵐小六は、『六段目』幕切れで腹を切ったまま、とんぼ返りを切って落ち入りを見せて大当たりをとったと言います。刀を突き立てたままとんぼを切るとは危いことをしたものだと思います。また、文政4年(1821)、江戸中村座では七代目団十郎の勘平は門口にしがみつきながら立ち腹を切ったそうです。これも評判記では『新手新手』と書かれていますが、どうも褒めた感じではありません。」

とあります。いずれも一度だけで終わったようです。吉之助氏は『山城少掾聞書』を引き、

「六段目というのは好んでやっているものではないんで、私としましてはべつだん皮肉もなにもありません。ヤマもなけりゃアテ込みもない、つづまりのつかぬ陰気な浄瑠璃で、どこも掴まえるところがありません。」

さらに、「古今いろは評林」を引いています。

「『六段目』を『しゆみし場にて、見にくき一場なり。よって姿にてうつきりとささねば、めいる様なり。』と書いています。『しゆみし場』とは陰気な場のことを言います。陰気でどうにも見せ場がないので、勘平の容姿・雰囲気で観客を魅了させないと『めいる』、というのです。」

 元来陰気な六段目の勘平を、歌舞伎役者が演ずる工夫の中から、現在の勘平の一つの型が出てきた。この中では判官の切腹と勘平の切腹との対比が生まれ、それが「切腹」と「腹切」ということばの対比にもつながっていったのではないでしょうか。

 では判官の切腹と勘平の切腹をどう見るか、吉之助氏の考察に共感するところがあります。この点はまた次回に。


前回のも含めてURL一覧
【上方落語メモ/目次】
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/index1.htm
【上方落語メモ第2集】その71 / 淀五郎
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo71.htm
【上方落語戯場風景】
http://www2.gol.com/users/kinosita/rakugo/index.html
【蔵丁稚】
http://www2.gol.com/users/kinosita/rakugo/kuradetchi.html
【イヤホンガイド】
http://www.eg-gm.jp/eg/e_index.htm
【9月国立小劇場】
http://www.eg-gm.jp/eg/e_contents/quiz/9bunraku/9bunraku.htm
【朝日マリオン・コム(asahi-mullion.com_top)NEW】
http://asahi-mullion.com/index.html
【幕の内外/歌舞伎鑑賞教室】
http://asahi-mullion.com/mullion/column/maku/88-maku.html
【歌舞伎素人講釈】
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/index.htm
【しゆみし場での切腹:「仮名手本忠臣蔵」】
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin38.htm

2006/01/16(月)

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2006年1月11日 (水)

さすがは「仮名手本忠臣蔵」 勘平の切腹続き

【錦糸サイト 淡路町さん】
淀五郎

切腹は狂言のクライマックス。盛り上がりますよね。
落語の『淀五郎』(円生)で、判官の切腹と勘平の腹切の違いがでてきます。円生は噺家になる前は義太夫語りで、大正昭和の義太夫界を生きて来た人ですので、実感だと思います。
【後略】

2006/01/10(火) 21:59

【同 睡蓮さん】

確かに・・・

以良香さま
以前は腹切と切腹、それほど厳密に使い分けていなかった様がうかがい知れました。
評論家やファンが周囲であれこれ作り上げる中、
当の技芸員さんはもっと芯の芯だけを考えながら精進され続けていらっしゃるのでしょうね。
今でも技芸員さんの間では「勘平切腹」という言い方が主流とも聞いたことがありますが…?

2006/01/10(火) 23:34


「仮名手本忠臣蔵」、「勘平」でインターネットを探ってみると、さすがに無数といいたいほどの情報があります。

【切腹と腹切】
 まず、切腹と腹切の使い分けは文楽でもすでに一般的と思われます。

 この使い分けは、「イヤホンガイド」サイトの中にある2000年9月文楽公演(国立劇場小劇場)に関するイヤホンガイドクイズでも、仮名手本忠臣蔵の通し公演に関して、ことばの使い分けを、「(殿様と浪人の)身分の差から」としているように、今では文楽でも定着しています。

 また、仮名手本忠臣蔵」の東西歌舞伎による演出の違いを上方落語「蔵丁稚」を通して述べている、「上方落語戯場風景」サイトの「蔵丁稚」、3. 蔵の内で、
 「四段目の判官と六段目の勘平を同じ役者がやる。同じ役者で大名の切腹と勘平の腹切りの違いを見てやらねば、ということなのだが、ここで両者の腹の切り方を云い分けている。[中略]これは、判官の場合は作法に則ったものであるので切腹、対して勘平は作法もなにもなく、いたたまれなくなって刀を腹へ突き立てたので、腹切り、ということ。」
 とありますから、上方でも同じようです。

【歌舞伎の勘平切腹】
 結城さん淡路町さんが描かれる勘平の切腹が、歌舞伎での一般的な演出のようです。ことばの使い分けはここからでてきたものと思われます。

 上方落語に描かれている上方歌舞伎の勘平も、「上方落語メモ」サイトの「淀五郎」によると、
 「おんなじ腹を切んのでも、勘平なら山猟師にまで身を落としたやつや、のた打ち回ってほっぺたに血ぃ付けたりして腹切ってもえぇ。」
 と判官との違いがはっきりしています。

 ただし、二枚目として描かれる周知の勘平、その演出については上方では違う型もあるようです。勘平についてもう少しお付き合いください。また後ほど。

2006/01/11(水)

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2006年1月10日 (火)

勘平 浄瑠璃では切腹だったようです

【錦糸サイト ツツドリさん】
あばた

【前略】
(勘平)腹切と(桜丸)切腹の語順の違い、何か意味があるのでしょうか?【後略】

2006/01/08(日) 18:15

【同 喜美子さん】

ハラキリのこと.

「判官切腹」に対して、勘平さんは「腹切」なのではないでしょうか。
先の段で不忠を働いての浪々、身分の違いかな?とも思ったのですが、「桜丸切腹」・・桜丸は舎人・・というのもあるし。ここはやっぱり「判官切腹」との対比では、と我が家では話しています。
「弥作鎌腹」なんていうのもありましたね。
【後略】

2006/01/09(月) 18:15

【同 結城さん】

はじめましてm(_ _)m.

はじめて書き込みさせていただきます。
今まで「勘平腹切」は彼が浪人して猟師をしているから・・と思ってました。

でも考えてみると桜丸は「桜丸切腹」。彼も(身分は別として)自刃する時は宮家の禄を離れた「浪人」。

考えると眠れなくなりました(笑)
喜美子様の
>判官切腹」との対比では
に納得です(^^)これで、安眠できます(笑)
【後略】
2006/01/10(火) 09:13

切腹と腹切についての書き込みを読み、興味がわきました。

 小学館の日本国語大辞典によると、切腹と腹切(り)とは同義であり、使い分けはないようです。
 また、浄瑠璃の中では、「堪り兼ねて勘平諸肌押し脱ぎ脇差を、抜くより早く腹へぐつと突き立て、「ム、いづれもの手前面目もなき仕合はせ、拙者が望み叶はぬ時は切腹と兼ねての覚悟」(八介さんの床本集)とあり、腹切ということばは出てきません。もっとも、これは勘平のことばですから、これだけでは判断できません。

 小学館刊行「新編日本古典文学全集」77『浄瑠璃集』所載のものによれば、第六 財布の連判(与市兵衛住家)とあって、勘平の下りは別れていませんが、編者の小見出しは「切腹」を使っています。
 また、杉山其日庵(茂丸)著『瑠璃素人講釈』(1926年刊、昨年岩波文庫に収録)でも、仮名手本忠臣蔵 六段目切 勘平切腹の段 となっています。

 文楽公演の記録を、文化デジタルライブラリーにあたって見ますと、該当の段については、1967(昭和42)年12月からの記録があります。この時から1976(昭和51)年7月公演までは、「早野勘平切腹の段」でした。1976(昭和51)年 12月公演は「 勘平住家腹切の段」と変わって、その後は、1992(平成4)年 11月の素浄瑠璃の会などで「切腹」が使われることもありますが、「腹切」に切り替わったようです。
 (参考:面白いのが、1994(平成6)11月公演は芸術祭主催の公演で、芸術祭の記録では「切腹」で、デジタルライブラリーでは「腹切」です。プログラムをお持ちの方のご教示をいただければ有難いです。)

 一方、歌舞伎では、1970(昭和45)年 7月の4回歌舞伎鑑賞教室から記録がありますが、「与市兵衛内勘平腹切の場」となっていて、その後も一貫して「勘平腹切」となっています。
 どうやら歌舞伎の世界から、「腹切の段」が輸入されたのではないでしょうか。
 歌舞伎での「切腹」と「腹切」についてはまた後ほど。

八介さんの床本集
http://homepage2.nifty.com/hachisuke/yukahon.htm
文化デジタルライブラリー
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/


2006/01/10(火)

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2004年12月10日 (金)

睡蓮様 忠臣蔵、書き込みありがとうございました 「仮名手本忠臣蔵」の季節

【ひらめサイト】

睡蓮様 忠臣蔵、書き込みありがとうございました
2004-12-10
:
【睡蓮さんの書き込み】


《感想文の(6)
山科閑居の段、正直言って初めは重くて重くて本当に辛かったのです。
そう、7回目まではしんどかった。[中略]
それがある程度聞き込んだ8回目、もういいかなと人形だけを見てみると、
[中略]
目と耳と自分の脳内から心に極楽が入り込んでくるような気持ちよさに
体中震える思いをしてしまいました。》

 ここまで、文楽の世界に浸り込んだことはないなと、たいへんうらやましく感じました。
 第一部、第二部合計で13回、パソコンは買えないまでも、PDAのZaurusが買える値段だよね、なんてふと思うのは、われながら世知辛い感じがします。

 忠臣蔵の感想文、充実した文楽生活のご様子が伝わってきました。2月の東京公演での山科の段、2000年の同じく東京での通し公演を思い起こしたりしました(後者は記憶がおぼろですが)。ありがとうございます。

【睡蓮さんの書き込み】


《仮名手本忠臣蔵 初心者感想文(3)

花籠の段。上使が来るまでの重苦しい空気をひしひしと感じます。
ちょっと不思議に思ったのが大序では「慶暦二月下旬」と語っていて、
進物の段では「一昨日鶴が岡にての意趣ばらし」とあって、
その日に刃傷まで至ってしまいますよね。
で、この花籠の段のタイミングで桜が咲いているのはヘンな気がしました。
上使がくるまでそんなに時間がかかったのかしらん。
いやいや、そんなに長い間待ってたら顔世御前はノイローゼになってしまうかも。》

感想文(3)で、
> ちょっと不思議に思ったのが大序では「慶暦二月下旬」と語っていて、
> で、この花籠の段のタイミングで桜が咲いているのはヘンな気がしました。

とありましたので、ちょっと調べてみました。
 今回の床本集がないので、八介さんの床本集によりますと、

> 兜頭巾の綻びぬ国の、掟ぞ

で「二段目 桃井館本蔵松切の段」に続き、

> 繕ひ立帰る。本蔵一間より立ちかはり「ハア、殿これに御入り。いよ/\明朝は正七つ時に御登城、御苦労千万。

となりますが、岩波版日本古典文学大系『浄瑠璃集 上』によれば、「掟ぞ」に続いて、

> 久方の。(「二段目」)空も弥生の。黄昏時。

と続きます。大序の二月下旬から、二段目では三月弥生になっています。旧暦弥生は江戸では今の三月下旬の気候でしょうか。間に刃傷の段が入り、花籠の段は、まさしく花の季節です。
 太陽暦が日本で採用されたのは明治ですから、文楽では季節を旧暦であらわしています。

 なお、『浄瑠璃集 上』を調べるうちに、床本二段目の冒頭に、塩谷判官の使いで、力弥が加古川本蔵の屋敷を訪ね、
> 大星力弥。まだ十七の角髪や。[…]小浪ははっと手をつかへ。じっと見交わす顔と顔。互いの胸に恋人と。物も得言はぬ赤面は。

という下りがあることを知りました。これがあると、道行の段での小浪の気持ちも自然に受け取られるような気がします。
 大序の二月下旬から、二段目では三月弥生になっていますから、花籠の段は、まさしく花の季節です。
 他にも、『浄瑠璃集 上』を読むと発見がありそうですが、それはまた。

2004年12月10日

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2004年8月 3日 (火)

東京の暑さにも慣れ?、9月公演に想いを(2004年)

【ひらめサイト 麻生深雪さん2004-07-11】
【6月南座公演「仮名手本忠臣蔵」に関して】
《さて、ここで申してよいやら。「旅路の嫁入り」の詞章にある、極めて際どい語句が、前の南座公演の番付床本では、ひらがな表記だったのが、今回は漢字表記にて。(どこ見てるんだと笑われそうですが) いいのだろうかとふと思はれた次第でございます。》

 関西の皆さま、聞くところによると関東よりも暑さはきびしいそうですが、今年の東京の暑さはまた格別で、ひらめさんが一時「干物」になっていらした(コミケに向け復活されたようですが)ような厳しさです。京都、大阪での文楽公演の模様をぼおっとしながら読むだけの日々でした。
 さすがに立秋が近づくにつれ、身体も暑さに慣れたのか朝晩少し風が涼しくもなり、まだ大阪公演中ですが、9月東京公演に気持ちを向けられるようになりました。まもなく金曜日、電話受付開始ですね。
 先に地味な演目と書きましたが、「双蝶々曲輪日記」「恋女房染分手綱」どちらも東京での久しぶりの通しでの上演、反応はどんなものでしょうか。
 ところで大阪の11月公演、「仮名手本忠臣蔵」とありました。通しでは2000年9月の東京公演以来だったかと。東京の2月公演に期待できるでしょうか(鬼が笑うか)。
 先月11日とちょっと前の話ですが、「仮名手本」「旅路の嫁入り」について麻生深雪さんが書かれていた「極めて際どい語句」のこと、過去東京公演の床本を2回分見てみましたが、いずれも漢字表記でした。


2004年8月 3日(火)

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