2005年12月 7日 (水)

2005年12月公演「一谷嫩軍記」

 12月は中堅・若手による公演で、従来パスしていましたが、今回は名作「一谷嫩軍記」の通し公演ですので、昨年に続き取り上げてみました。
 12月10日土曜日午後5時開演、9時少し前までとなります。
 見せ場の「熊谷陣屋の段」大夫は中堅の中でも評価の高い、千歳大夫・文字久大夫です。また人形は若手・中堅でファンの多い、勘十郎・玉女ほかです。


【12月公演】
「一谷嫩軍記」12月10日(土)午後5時開演 5700円
 全五段校正から
 二段目  陣門の段  
      須磨の浦の段
      組討の段
 三段目  熊谷桜の段
      熊谷陣屋の段


 宝暦元年(一七五一)の初演。並木宗輔ほか合作。平家物語の熊谷直実と平敦盛が題材。「陣門」「組討」「熊谷陣屋」が有名です。

《あらすじ》歌舞伎によりますが文楽と大差はないはず

 一の谷合戦後の須磨の浦、熊谷の陣屋。石屋の弥陀六は平敦盛の菩提を弔うために石塔を立てたとして捕らえられ、陣屋で梶原景高の詮議を受けています。
 その後、熊谷の妻相模(小次郎の母)と藤の方(平敦盛の母)がそれぞれの子の身の上を案じ、陣屋を訪ねてきます。熊谷は相模に女の身で陣中へ来ることならぬと冷たいそぶりを見せますが、敦盛を打ち取ったと語ります。その時、襖の陰から藤の方が熊谷に切りかかります。熊谷は藤の方を丁寧にさえぎり戦場での健気な敦盛最後の様子を物語ります。
 やがて、源義経が現れ、首実験となりますが、熊谷の差し出した首は、小次郎の首でした。熊谷は、義経から「一枝を伐らば一指を剪るべし」と記した制札を受け、皇統を引く平敦盛を助けよと密命を受けていました。涙をのんでわが子小次郎の首をはね、身代わりとし実験に供したのです。
 このすり替えの様子を聞いた梶原景高は、鎌倉の源頼朝へ注進しようとしますが、物陰から弥陀六の投げた石鑿(のみ)で絶命。義経は、弥陀六が伏見の里で幼い自分を助けてくれた平弥平兵衛宗清だと見破り、敦盛の入った鎧櫃(よろいびつ)を与えて旧恩に報います。
 熊谷は世の無情を悟り、武士を捨て仏門に入り、小次郎の菩提を弔うため旅立って行きます。

《みどころ》
 『平家物語』では、一の谷の合戦で弱冠十六歳の平家の若武者敦盛を打ちとった熊谷直実が、世の無情を感じ、武士を捨て僧となったというストーリーですが、ここでは、平敦盛は、実は後白河院と藤の方の間にできた子、すなわち皇室の御落胤という設定に変わります。
 皇統を引く敦盛を死なせてはならないと考えた源義経は、熊谷に密命を与えます。熊谷はもと大内を守護する武士でしたが、女官相模と密通、不義の罪に問われるところを藤の方に助けられ、恩義を被っていたのです。その時相模の身ごもっていたのが小次郎であったのです。

 二段目の「組討の場」では敵・味方にさとられぬよう、敦盛ならぬ小次郎の首をはねます。親子の情を通わせつつ、苦しみつつの熊谷の演技は心を引きつけます。
 三段目の「熊谷陣屋の場」では、熊谷の陣屋に首を持って帰ると、息子小次郎を心配してきた相模と藤の方、さらに義経が登場する見せ場です。


以上は「小鹿野歌舞伎のご紹介」などによりました。
http://www.town.ogano.saitama.jp/kankou/o_kabuki/enmoku.html


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年4月 4日 (水)

2001年5月文楽「一谷嫩軍記」

第一部12時~
(次の部が5時からですので、4時少し過ぎまででしょうか)

演目:一谷嫩軍記いちのたにふたばぐんき

二段目 陣門の段、須磨浦の段、組打の段
三段目 脇ヶ浜宝引の段、熊谷桜の段、熊谷陣屋の段
並木宗輔ほかの作品です。
観劇料:5800円(一等席)

 熊谷陣屋で思い当たる方も多いと思いますが、源平の戦いのうち一谷合戦での熊谷次郎直実と敦盛の物語がテーマです。(岩波の日本古典文学大系「文楽浄瑠璃集」収録)

| | コメント (0) | トラックバック (0)