2009年5月18日 (月)

文楽2009年9月公演、「艶容女舞衣」 酒屋の段 あらすじなど

文楽東京9月公演第二部は、
 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)沼津の段
 艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ) 酒屋の段
ということで、住大夫師匠は当然、お好きな演目の一つ、沼津の段となります。

 沼津の段は、前回が2005年2月。あらすじは次の所にアップしてあります。また関連する話題がいくつかあります。左のカテゴリーの「伊賀越道中双六」をクリックして下さい。
以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 2005年2月「伊賀越道中双六 沼津の段」「嫗山姥 廓噺の段」
http://iraka.tea-nifty.com/butai/2004/12/20052_4211.html

 酒屋の段のあらすじなどを次に掲載します。

艶容女舞衣 通称・酒屋、三勝半七
世話物 竹本三郎兵衛・豊竹応律
安永元年(1772)、大阪豊竹此吉座初演

茜屋半七と女舞芸人笠屋三勝の心中事件は、当時多くの芝居や浄瑠璃に取り上げられたが、現在はこの作品のみが残り、上演されるのもこの段。二人よりも、周囲の人々、中でも半七の妻お園に重点が置かれている。
[酒屋の段]
 大阪上塩町の酒商人「茜屋」の主人半兵衛の息子半七は、女舞芸人の三勝と深い仲になり、お通という子をもうけている間柄だが、半兵衛はこの仲を許さず、宗岸の娘お園と結婚させた。お園は嫁として半兵衛夫婦によく仕えるが、半七は三勝とのことがあってお園に手も触れていない。半兵衛は半七を勘当し、お園は実家に引き取られている。
 茜屋へ酒を求めに現れた三勝は、丁稚の長太にお通を預け姿を消す。お園は宗岸に伴われ、再び嫁として迎えてくれと頼みに来るが、半兵衛は、お園のためを思って承知しない。半七は、三勝に横恋慕する今市善右衛門と争って殺してしまい、人殺しの罪で追われる身であった。身代わりに半兵衛が引き立てられたあと、お園は一人残って半七を思ってかきくどく。そこへ、お通が手紙を届ける。手紙は半七の書き置きで、来世はお園と添い遂げるとある。人々は二人の安否を気遣うが、半七は三勝と連れ立って千日寺へ向かっていた。

 お園が半七を思っての「今ごろは半七つぁん、どこにどうしてござろうぞ」は女性がその思いを表現する「クドキ」の代表的なものとして有名。

【収録文献】
日本古典文学大系99 文楽浄瑠璃集
頼桃三郎 校訂「艶容女舞衣」岩波文庫

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2005年3月 5日 (土)

左富士、もう一つあるのですね

【錦糸サイト 淡路町さん】

《左富士

以良香さま。
 
昨年、NHK「道中でござる」で左富士が出てきました。吉原宿の手前から吉原にかけ、富士の姿が最も眺めがよく、平坦な街道には松並木がつづき、道は曲がりくねって今まで右手に見えていた富士山が左手に見える。これを「左り富士」といい、広重に『吉原 左リ富士』という作品があります。【後略】》2005/03/04(金) 14:51

淡路町様ご教示ありがとうございます。

 左富士という現象と言葉があったのですか。インターネットで見ると、昔の東海道にはもい一カ所左富士が見える場所があったと知ることができました。
 吉原と言えば現在の富士市、富士山が大きく美しく見える街道で、右に見えていた富士山が左富士になる、これは名所に数えられ絵に描かれたのも当然ですね。

2005/03/05(土)

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2005年3月 1日 (火)

千本松原の闇(伊賀越道中双六)

【錦糸サイト 喜美子さん】

《雨、そして、暗闇。
【2月23日晴れから雨に引用した部分の続き】
暗闇・・・
幕切れに孫八が小石拾って白刃に当てる、私はこの所作をてっきり≪おまじない≫だと思っていたのです。臨終に魔よけでもしているのだと思っていたのです。
でも、此処は暗闇の話。小石と白刃で一瞬に火影が照らし出す光のもと、今生の親子の別れをしてくれと孫八の機転の働きということらしい。
【中略】
漆黒の闇。それを感じてもらいたい。平作が脇差をそろりと抜き取るのも十兵衛が気が付かないほどの暗闇。それを感じてもらえるよう、三味線で表現しているんだと、錦糸は言うでしょうね。》2005/02/21(月) 15:39

【同 ツツドリさん】
《【前略】
十兵衛が「きっさきがなまろうぞや」と言う所で平作の手を脇差に持っていきます。
もし、脇差の位置を教えることが
なかったら、暗闇の中、平作がうまく脇差を
抜き事が難しかったはず。
この因果な所作に、ゾッとしました。》2005/02/24(木) 20:13


ツツドリさんの2月24日1回目の書き込みと喜美子さんの2月21日の書き込み、その背景となる千本松原の闇、浄瑠璃では、平作の「コリヤお米、随分大事に掛けておきや。夜明までは間もあり、そなたも休みや」で表現しています。映画なら闇をどのように表現するだろうかなどと想像しています。

 ツツドリさんの書き込み、「平作の手を脇差に持っていきます。もし、脇差の位置を教えることがなかったら、暗闇の中、平作がうまく脇差を抜き事が難しかったはず。」、わたし自身は、初日の第二部、席が舞台から遠かったこともあり、十兵衛の手の動きには注意を払っていませんでしたので、文献をたどって見ます。

 岩波書店の古典文学大系【旧】、「『【前略】此持主の名をいへば、敵の薬で疵本腹。恩を請けてはまさかの時、コレ切つ先がなまらふぞや。やつぱり拾ふた薬にして、心置きなふ養生さしたが、ハよさそふに思はるゝ』と。」【送りがなを補い句読点は変更】

 ここには、次の注が付いています。「『恩を…』と十兵衛は左足を踏み出し、平作の左手を取って、わが脇差の柄頭を握らせ、耳に口を寄せ。」
 また、岩波書店の新・日本古典文学大系の注では、「現行、切先が、と印籠を再び平作の手に持たせつつ、その手を自分の脇差に触らせて諭す。」とあります。

 この場面、映画ならシルエットで表現するのでしょうか。それはともかく、暗闇でなく明るい場所であるならば、十兵衛は平作に印籠を持たせた後で、脇差の柄頭は自分の手で握って示し、平作の手を脇差に導くことはなかったことでしょう。

 次に喜美子さんの2月21日の書き込み、「小石と白刃で一瞬に火影が照らし出す光のもと、今生の親子の別れをしてくれと孫八の機転の働きということらしい。」

 ここは、「池添が、小石拾ふうて白刃の金、合はす火影は親子の名残跡に、見捨てて、別れ行く」

 映画なら一瞬をスローモーションで表現するところでしょうか。浄瑠璃は、「石と白刃を合わす」と「親子を見合わす」を掛けているのですね。親子としてはこの一瞬だけの出会い、十兵衛が人情を振り捨て義理の世界に戻っていくことを、「見捨てて」のことばに表現しているのでしょうか。

 沼津の段の闇をそのまま背負って劇場を離れることのないように、第二部は嫗山姥を配しているのかなと考えました。

2005/03/01(火)


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2005年2月23日 (水)

晴れから雨(「伊賀越道中双六」沼津の段)

【錦糸サイト 喜美子さん】


《雨、そして、暗闇。 ..喜美子

玉男師匠のお遣いになる十兵衛は、かっこいい。三度笠が決まっている。まるで時代劇の道中姿の定番としてしか見ていなかったのですが、そうです、舞台はどんよりした曇り空から雨が降りだいていたのですね。
平作の家から十兵衛は、「日和が知れぬ。」と雨具の心配をしもって供の安兵衛を吉原へ見送っている。
それで、 やがて雨となって千本松原の場面。手負いとなった平作の苦しい息の下での懇願を聞く十兵衛は、自らの合羽を平作に着せかけ笠を平作の頭上にかざす。
雨が降り濡っているのですねえ。【後略】》2005/02/21(月) 15:39

 「雨、そして、暗闇」を読み、沼津の段、出だしは晴れだったはずと床本を追ってみました。

 まず出だし、[平作]「一肩往ては、ム、立ち留り、『アノ、今日は結構なお天気ぢやなア。ヤ、ヤツト任せ』二肩往ては[…]」
 ついで喜美子さんが言及されているように平作の住いに落ち着いた頃、[十兵衛]「『ホヽ安兵衛か。早かつた早かつた。そなたはその荷物を持つて、吉原の鍵屋で宿を取りや。アヽ日和が知れぬ、早う行きや』[安兵衛]雨具の用意は吉原の、鍵屋をさして急ぎ行く。」
 時間が経過して日暮れ、まだ雨は降り出していません。[平作]「「『話しに紛れてずつぷりと、日の暮れてあるに気がつかなんだ。アレアレ三日月様が上つてござる。宵月夜で行燈はゐらぬ。御燈明を伽にして辻堂の雨宿り、お客様ももうお休み。』」

 十兵衛と平作のコミカルな場面から、千本松原の場面へと、場の変化の背景に天候の変化を書き込んであったのですね。

2005/02/23(水)

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干鰯とたつくり

【錦糸サイト 喜美子さん】

《知らなんだ! ..喜美子

先般、芝居好きの友人と話していた時の話です。「沼津」のなかで出てくる≪干鰯≫って何か知ってる?という話題に。
・・干した鰯でしょ?
・・干した鰯ったって、食べ物じゃない。肥料として田畑に播く物なのよ。

つまり、平作の家は肥料の干鰯すらない極貧の所帯という事になる。【後略】》2005/02/21(月) 14:53

 干鰯が肥料だったとの喜美子さんの書き込みを読んで、正月のおせち料理の一つ「たつくり」との関連をインターネットで確かめました。

 愛知県知多町にある豊浜漁港、豊浜水産物加工業協同組合と愛知県食品工業技術センターが共同で開発した良質な魚醤『しこの露』のHPから要点を抜粋します。
http://www.aiweb.or.jp/toyohama/html/shiko3.htm

 普通イワシというと、「マイワシ」「ウルメイワシ」「カタクチイワシ」の3種を指します。カタクチイワシはそのうちもっとも小さい種類[…]、稚魚や幼魚で 2cm ほどのものを「しらす」「ぼうずしらす」「どろめ」、[…]などと呼びます。
 […]刺身にするとマイワシよりおいしいといわれます。ただ鮮度落ちが非常に早いので、[…]ほとんどが飼料や肥料になり、食用にされるものは煮干しやたつくり、みりん干しやアンチョビなどに加工されます。
 […]お正月料理の「たつくり」は「しらす」を干物にしたもので、地域によっては「ごまめ」と呼びます。
 江戸時代の農村では鰯などの小魚を干して肥料にしていました。この肥料を「干し鰯(ほしか)」といいます。カタクチイワシは田んぼを作るのに大切な魚だったので、「田作り」と呼ばれるようになったのです。「ごまめ」はもともと「ゴマ目」で、ゴマのように小さな目をした魚という意味でしたが、後に「五万米」と書くようになりました。[…]、米が五万俵もとれるという縁起のいい漢字を当てています。
 [以上抜粋]
 沼津といえば有数の漁港の一つ、江戸時代には干鰯と沼津の結びつきは強かったと思われます。
 正月料理といえば、数の子、たつくりのもとのイワシ、どちらも庶民的な食べ物だったのが、いつのまにやら高価なものになってしまいました。

2005/02/23(水)

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2005年2月13日 (日)

吉原は沼津の西のはずですが

【錦糸サイト】

東京公演初日第二部を堪能してきました。終わった後での飲み会で出た疑問。
 東海道を富士山を左手に見て歩く沼津から吉原の宿へは行かれぬはず。近松半二は東海道を旅したことがなかったのではと。
 まあ、下手から上手への動きの中では仕方がないことかも。

2005/02/13(日)


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初日第二部、二つながらに満足

【ひらめサイト】

 東京公演初日第二部、沼津の段、盆がまわると、待ってました住大夫、と声がかかり、大阪では珍しくないのでしょうが、東京では掛け声がかかるのは初日ぐらいと聞きます。あまり初日の経験がないため新鮮に感じました。
 七年前の通し公演の記憶がなくなっていて、住大夫師匠の『文楽のこころを語る』で、沼津の段の拍手のしどころ二カ所を予習していったのですが、二カ所とも拍手をしそこね、場内からも拍手は起きませんでした。浄瑠璃の展開に固唾を呑んで聞く中では、拍手はちょっと難しい。何度か足を運んだ人でないとできないのではと感じました。
 それはともかく、しばらくは頭の中が涙のような空白のような、そんな思いで満ちていました。
 代って二部の後半、嫗山姥、はじめての体験でした。プログラムの筋書きで想像していたよりも、おもしろく感じました。廓話で示す八重桐のキャラクターと、超人的な力を人形が演じることで不自然でなく受け取らせてしまう魅力がありました。
 例により仲間と文楽談義、通しも良いが、見取りも良いとの結論でした。

2005年2月13日(日)00時11分2秒

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2005年1月11日 (火)

荒木又右衛門と初夢の関連

【錦糸サイト】

細かなことに(も?)興味を抱く以良香です。今年もよろしくお願いいたします。
 大阪でも字幕が始まったこと、某サイトでも話題になっていますが、東京は舞台の両枠に縦に表示されている(12月13日に書き込んでいます)とはスタイルが違うようですね。見比べていませんから断定はできませんが、国立小劇場スタイルの方がよいような気がします。

 さて、「沼津の段」からは離れますが、「伊賀越道中双六」といえば、荒木又右衛門。又右衛門と初夢の関連について、昨年末文楽仲間とやりとりをしました。【以良香の文楽・浄瑠璃メモ: 「一富士二鷹三茄子」と仇討ち=茄子と荒木又右衛門
http://iraka.tea-nifty.com/butai/2004/12/post_3279.html

 初夢について見るとめでたいとよくいわれる「一富士、二鷹、三なすび」。そのいわれですが、富士の裾野で仇討ちをした曾我の五郎、十郎し、忠臣蔵の浅野家の家紋「違い鷹の羽」、そして伊賀(茄子の産地)で仇討ちをした荒木又右衛門の家紋がなすび。共通点は「仇討ち」という説があり、その方はお父上から聞かれたそうです。
 インターネット上で調べたところ、このようないわれに言及しているサイトはいくつかありましたが(「かぶきのおはなし」 http://www2.rosenet.ne.jp/~spa/kabuki/index.html など)が、いつごろどのあたりから言われたかを、典拠を挙げているところはないようです。(因みに小学館の『日本国語大辞典』では3つも説を挙げていますが、仇討ち説は出ていません。)
 どなたかご存知の方がいらっしゃると嬉しいのですが。

2005/01/11(火)

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2004年12月14日 (火)

「一富士二鷹三茄子」と仇討ち=茄子と荒木又右衛門

【文楽仲間へのメール】

 「一富士二鷹三茄子」と仇討ち=茄子と荒木又右衛門というのは、インターネット上ではかなり流布しているようです。とりあえず荒木又右衛門と初夢の結びつきがわかったところであまり詳しくは見ていないのですが、いずれも出典があきらかでなく、また権威がありそうなサイトで触れているところがあまり見あたりませんでした。

 比較的確度が高そうなところの一つは「家紋の湊」 サイトです。
http://www.otomiya.com/kamon/index.htm

> 「家紋の湊」では二千点に及ぶ家紋辞典と、コンビニエンスなデータサービス、楽しい家紋の使い方を提案をしています。日本の伝統文化「家紋」をぜひ身近にご活用下さい。

 「家紋の湊」→植物→茄子(なすび)で情報が得られます。直接ですと、次のURLへ

http://www.otomiya.com/kamon/plant/nasubi.htm

 もうひとつは、知泉のHP です。
http://www.elrosa.com/

 2月23日「知泉2」発売さらに濃密な雑学を!ということで、二見書房から1000円で本を出すようです。本になるから確度が高いわけではないのですが、売ろうという以上、あまりむちゃなことはしないでしょう。

 直接には、雑学大作戦:知泉の中の次のページに直接。
http://www.elrosa.com/tisen/82/82476.html

 なお、こういう調べものには、Googleが便利です。
http://images.google.com/webhp?hl=jaキーワードとしては、荒木又右衛門と荒木又衛門と両方がありましたので、

荒木又 茄子

をキーワードに入れると、あらかたヒットします。

 あとは「一富士二鷹三茄子」で調べる手がありますが、きっと大量にヒットするでしょうね。

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2004年12月 6日 (月)

2005年2月「伊賀越道中双六 沼津の段」「嫗山姥 廓噺の段」

2月12日(土)(Bプロ) 2時30分から、5時半まで、
「伊賀越道中双六 沼津の段」(近松半二・近松加助=作)
「嫗山姥 廓噺の段」近松門左衛門=作

 なお、Aプロ、Cプロもそれぞれ魅力ある演目です。
 Aプロは、「源平布引滝 矢橋の段・竹生島遊覧の段・九郎助内の段」など。
 Cプロは、「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」などです。[後述]

《伊賀越道中双六 沼津の段》
 「伊賀越道中双六いがごえどうちゅうすごろく」は、荒木又右衛門の敵討ちに題材を取った演目で、1998年4月と5月、大阪と東京でそれぞれ通し狂言として上演されました。
 中でも沼津の段は、敵討ちの主筋とは外れていますが、人気の演目で、住大夫師匠も『文楽のこころを語る』の中で、好きな浄瑠璃の一つにあげています。現在住大夫師匠の相三味線を務める錦糸さんの襲名披露も、上記の1998年の公演の中で行われました。素浄瑠璃でも何回か語り、CDも出ています。

《伊賀越道中双六 粗筋》
 妻の弟で岡山藩士の渡辺数馬を助けて行われた、有名な荒木又右衛門の伊賀上野の仇討ちに題材を取ったもの。「道中双六」の通り、東海道を京都に向かう宿場ごとにさまざまなエピソードが展開する。全段のヤマ場である「沼津」は、浮世の義理から敵同士に別れた親子の苦悩と死を描き、太夫の実力が問われる場である。

 足利家の家臣・和田志津馬は、同僚の沢井股五郎の奸策にかかり、役目をしくじった上、父親を殺される。志津馬の姉・お谷の夫で剣客の唐木政右衛門は、大藩の師範役を断り助太刀に加わる。
[沼津の段]
 股五郎をかくまう出入りの呉服屋十兵衛は、沼津の宿で雲助平作の家に泊まるが、平作は実の父親で娘のお米は志津馬の恋人だった。お米は傷を負った志津馬のため、十兵衛の持つ妙薬を盗もうとし、これがきっかけで平作一家と十兵衛の関係が明らかになる。
 薬を残して立ち去る十兵衛を平作が追い、股五郎の行方を教えるよう頼むが、拒まれる。平作は腹を切り、十兵衛は物陰のお米に聞こえるように秘密を明かす。

 岡崎の宿では、股五郎の許婚の父で政右衛門の剣の師匠である山田幸兵衛のもとで、政右衛門と志津馬がおちあう。ところが折悪しくお谷が乳呑み子を抱いてやってくる。素性を隠すため、政右衛門はお谷を追い返し、わが子を刺殺する。
 幸兵衛は二人の正体を見抜くが、義心に感じて股五郎の居所を告げ、これを手がかりに仇討ちとなる。 

 派手な仇討ち物語を描いているようで、仇討ちを親子の愛を引き裂く、むごく空しいものとする。

《源平布引滝》
 「平家物語」「源平盛衰記」の世界を題材にする。作者は並木千柳と三好松洛と言われる。

 源義朝滅亡後、その弟の木曽の義賢が源氏再興を図り、その子義仲が兵を率いて都へ上がる筋立て。平家の武将ではあっても、かつて源氏に領地を与えられたこともある斎藤別当実盛という武将が主人公。
 平家に攻められた木曽義賢が討ち死にし、そのとき懐妊中だった義賢の妻葵御前は、源氏に心を寄せる九郎助の一家に助けられて都を逃れる。
[九郎助内の段]
 琵琶湖畔の九郎助の住家。葵御前はこの家に隠れて臨月を迎えるが、そこへ平家の侍瀬尾太郎と斎藤実盛が、乗り込んでくる。葵御前の子が男なら殺す所存である。しかし実盛は心ひそかに解決の方法をさぐる。切羽詰まった九郎助は、湖でひろった女の片腕を差しだし、葵御前が産んだのはこれだと言い張り、唖然とする瀬尾を実盛は言いくるめる。
 ところが九郎助の娘小万が、右腕を斬られた痛ましい姿となって運び込まれる。やがて源平の合戦が再び起こるとき、実盛は小万の息子太郎吉と対戦することを約束して立ち去る。

《壇浦兜軍記》
 現在上演されるのは「阿古屋琴責の段」のみ。音楽による裁判劇。
 平家が滅び、侍大将・景清の行方を尋ねるため、景清の愛人、五条坂の遊女阿古屋が取り調べを受ける。源氏方の重忠は、琴・三味線・胡弓を阿古屋に演奏させ、その調べに全く乱れのないことから、彼女に嘘がないことを知る。
 阿古屋は、音楽によっておのれの心の奥底を語る。権力に抵抗する遊女の意気地と、景清に寄せる愛。
 各役割を大夫が演じ分けるが、阿古屋は美声の大夫が語るのが通例。1980年5月に竹本越路大夫が語っているが、1999年1月以来豊竹嶋大夫が語ることが多い。今年1月大阪公演も嶋大夫。

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