2006年9月25日 (月)

玉男さんの俊寛、もう見ることがかなわないとは

【ひらめサイト】

 揚巻さんの書き込みで玉男さんの訃報を知りました。

 文楽仲間で飲むたびに出るのは、玉男さんの俊寛をもう一度みたいとの話でした。なんで東京で再演されないのだろうとの恨みもこめつつ。(東京の鑑賞教室で玉男さんが俊寛を使われたことはあるようですが。)

 昨年7月の最後の舞台以後も、また玉男さんのお名前がプログラムに載らなくなってからも、玉男さんの舞台姿をもう見られなくなることを信じたくない気持ちがずうっとありました。

 23日の公演終了後、数人で国立劇場の近くの店で話したときも、玉男さんの俊寛の話がでました。
 日記を見ると、1995年2月の東京公演、住大夫師匠の浄瑠璃と玉男さんによる鬼界が島の段で、余韻をこわしたくないということで、結びの段はパスし、その時いあわせた4人で四谷まで歩いていって2時間くらい飲んだとあります。
 よく覚えていませんが、近松の本、住師匠の浄瑠璃、玉男さんの俊寛の話にに終始したに違いありません。行く場所はだいたい居酒屋、それにしては飲み代5000円はちょっと解せない。きっと余韻に浸りながら痛飲したのでしょう。

 昨年5月東京公演、伽羅先代萩の前に楽屋にお邪魔しました。ちょうど冥土の飛脚を上演している舞台裏で、三味線と浄瑠璃が聞こえていました。封印切りの段が終り、玉男さんが下手から何と手を引かれて楽屋に向かい歩まれていきました。立派な舞台を演じられているとの評判、あのお身体でよく、と胸をうたれました。
 2月の伊賀越道中沼津の段、十兵衛の役をお元気なように感じていて、東京公演の最後になるとはつゆ思わず、冥土の飛脚をパスしたのが悔まれますが、せめて楽屋でお顔を拝見したのをなぐさめにしつつ、ご冥福をお祈り致します。

2006年 9月25日(月)

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2004年1月26日 (月)

「春よ来い」の前に気分は「冬よ来い」

【ひらめサイト】

関西の皆様
 文楽公演は旧暦ですと春ですが、やはり冬の本番。大阪の文楽の様子がこの掲示板でむんむんと伝わってくるにつけて、東京の文楽ファンは、「春よ来い」の前に「冬よ来い」です。

勘十郎さんの番組
 土曜日のNHK教育TV「ようこそ先輩、課外授業」「文楽人形に挑戦」を見ました。こどもたちの注文に応じて、例えば野球の投球の形を示す。3人の息が自然にあうところはあらためてすごいなと感じました。

玉男さんの番組ビデオ
 その後旧年27日吉田玉男さんの番組をビデオにとっておいたのを、あらためて見ました。放映の時は小津安二郎の部分が続いて、いつから玉男さんになるんだろうと、ちょっといらいらしてました。そのためか夜遅くになったためか、番組が始まった時にはくたびれてしまって、身を入れて見ることができませんでした。ゆっくりと見ると、玉男さんの前へ前へという心持ちが気持ちよく伝わってくる。いい番組でしたね。
 平家女護島、俊寛は玉男さんがかなり若いときの映像、遠ざかる船を視界から消すまいと岩に登る姿、もう何年も前になってしまいますが、わたしが感銘を受けたときのことを思い起こすことができました。
 仮名手本忠臣蔵の城明渡しの段、由良助が城から遠ざかる場面、舞台で城を黒子さんが後ろに押して表現していることがTVではよくわかりました。提灯から紋を切り取り玉男さんの発声をきっかけに大夫に転じるところも快い緊張感を思い出しました。暮れの押し迫った時にはナレーションにしても、三業で文楽が成り立っていることを伝えることが希薄なように感じましたが、あらためてビデオを見ると、文楽ファンには自明のことなのだと。

嵯峨野の住人さん
 紹介してらっしゃる文楽・浄瑠璃ネタ(あるいは歌舞伎)の落語、全部は聞いていませんが、寝床一つとってもある時代まで生活の一部を浄瑠璃が占めていたことがよくわかりますね。そんな状態はテレビが普及するまでだったのでしょうか。NHKの朝ドラマ「照る照る家族」で、ヒロインのお父さんが、浄瑠璃の女師匠のところにいりびたっている場面でそんなことを考えたりしました。

2004年1月26日(月)

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2003年12月22日 (月)

またチケットがとりにくくなる?

【ひらめサイト】

2003年12月NHKTVスペシャル吉田玉男さん情報に接して》

 玉男さん、住大夫さんのNHKの番組(人間国宝二人)を見て、それまで私が文楽を勧めても、食わず嫌いだったのが、文楽に引き込まれた方が何人かいらっしゃいます。今度の放送で、また玉男さんファンが増え、それに伴って文楽ファンが増えるのはいいのですが、さらにチケットが取りにくくなるのかな。
 玉男さん住大夫さんのコンビで思い出すのは、平家女護島、鬼界が島の段。来年の2月に東京公演をと期待して振られたのですが、では前回はいったいいつだったかと、文化デジタルライブラリーで調べたところ、1995年とありました。そんなに昔だったのかな。(三味線は今は亡き燕三さんが休演となっていますが、ちょっと記憶がありません。)
 俊寛が千鳥・成経という若い二人を救うために自分の意思で島に残る。その心持ちが痛いように伝わった後に、舞台は転換する。岩に俊寛がよじ登って遠ざかる船を見送る悲痛さ。船を見送る俊寛と、船から見つめる俊寛の姿と。玉男さんが俊寛か、俊寛が玉男さんかとの思い、月並みな表現ですが何人かのお仲間と交わした言葉でした。
 玉男さん、この秋は、休演あるいは部分出演。年改まれば、きっとお元気で。関西の皆様、東西をかけめぐる方々、1月の公演でのご様子をぜひお願いします。

2003年12月22日(月)

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